社員掲示板
相変わらず
ただ今自宅警備中
引きこもり中
スカロケ始まりますねー。
お粗末さまです。
はくすいⅡ
男性/58歳/東京都/会社員・時々なんちゃって現場職人
2020-08-10 16:59
夏の思い出案件!
本部長、秘書、社員の皆様お疲れ様です!
今回の案件ですが、誰もが思っているであろう、夏の風物詩、花火大会ですよね!!
今年は、コロナですべての花火大会が中止だと思いますが、あの夏の夜に咲く大輪の花は、やはり最高の夏の思い出になります! ここで、流れるなら、夏祭りききたいなぁー。(笑)
植木屋のだい
男性/38歳/山梨県/会社員
2020-08-10 16:56
夏の思い出案件
夏の思い出は駅に絵をかいたことです。
仕事終わりに新宿から夜行バスで関西へ。途中地元に帰ったりもしつつ、合計20日程度滞在制作をしました。
クモやバッタなどの虫と格闘しながら、暑さで汗だくになりながら、毎日ヘトヘトになりながらもコツコツ制作を続けました。出来上がったときの満足感はハンパなかったです。
制作の合間、地元の人とおしゃべりしたり、地元の新鮮なものを食べたり。
楽しかったなぁ。
のっぽっぽん
女性/40歳/埼玉県/自営・自由業
2020-08-10 16:56
本日の案件
お疲れ様です。
子供の頃、大きなキャンピングガカーを借りて
家族みんなで北海道巡りした事が最高に楽しかったです!!
子供ながらに北海道の広さと景色の豊かさに圧倒された事、
母が作ってくれたイチゴジャムのサンドイッチが妙に美味しかった事、
みんなで雑魚寝して星空を見た事、
ハッキリと覚えています!!
とっても贅沢で懐かしい最高の夏でした!!
アポカド
女性/45歳/千葉県/会社員
2020-08-10 16:56
本日の案件
皆さまお疲れ様です。
本日の案件ですが、どうしても忘れられない夏があるので書き込ませていただきます。
それは中学時代に遡ります。
当時、僕はバスケ部でした。
ウチの学校のバスケ部はとても弱く、負けてばかりでした。
だけど、最後の大会で奇跡的にも市内3位という好成績を残しました。
もう23年前のことですが、いまだに記憶しています。
あの夏は最高でした。
この先、何があっても忘れることはないでしょう。
あの夏を共に戦った仲間とは今でも連絡を取り合います。
1997年の夏は僕にとって永遠です。
けいごん
男性/43歳/神奈川県/フーテン
2020-08-10 16:55
KEIBA クラスターC
盛岡競馬場でクラスターC
優勝は、マテラスカイ。
2着は、ヒロシゲゴールド。
JRA勢、強し。
あんずの父さん
男性/57歳/東京都/自営・自由業
2020-08-10 16:54
忘れられない私のSummer
お疲れ様です!
今日も暑いですね。
私が小学生の頃、北海道に住んでるおばあちゃんと従兄弟達とプールに行ったことが今でも忘れられません。
室内プールなんですが、大きなスライダーや流れるプール、ジャグジー等があり1日中遊べるプールでした。もう閉館してしまいましたが、とても忘れられない大切な思い出です!
つじっしー
女性/36歳/埼玉県/回れ回れお寿司屋さん☆
2020-08-10 16:53
最高の夏
お疲れ様です。
最高の夏の思い出といえば、大学1年生〜3年生の夏です。
一つに決められないのは訳があります。
大学1年生の頃生まれて初めての海外、アメリカに短期留学に行きました!初海外・初飛行機・初留学でドキドキだったのを覚えています。
この留学を気にもっと挑戦してみたいと思い、2年生の夏にはドイツに1年間の長期留学に行きました!
ドイツ語や向こうの授業を必死にこなし、夜はサッカーにビール…
てるてる坊主は作ったことない
男性/28歳/東京都/会社員
2020-08-10 16:51
本日の案件
皆さまお疲れ様です。
本日の案件ですが、やっぱり野外ライブですね!
20年近く前になりますが…山梨の富士急ハイランド近くの会場で行われた野外ライブに何回か行きました。
日が暮れてく中で色が変化する感覚や、好きなアーティストの月にまつわる曲(山崎まさよしさんの〝月明かりに照らされて〟)が始まり、ふと空を見上げると、まん丸のお月様が見えた時の高揚感、、花火と共に迎えるフィナーレまで最高のライブでした!もちろん会場で飲むビールも最高!
天候に左右される野外ライブではありますが、それがまた思い出になるんですよね。今夜はバルコニーで空を見上げながらビールでも飲みます!
ゆみけん
女性/49歳/千葉県/会社員
2020-08-10 16:49
最高の夏の想い出
本部長、秘書、社員の皆様、お疲れ様です。
息子が小さかった頃、2年おきに北海道の実家で夏休みを過ごしていました。
私は4人姉妹の3番目。帰省は姉や妹の子供たちと一斉に夏を過ごす大イベントで、毎日プールやイチゴ狩り、川も海にも行ってキャンプしました。
ワアワア騒ぎながらみんなで大移動して夕方には全員がくたくたになって帰り母の作るゴハンを平らげて温泉に行く…アメリカに住んでる甥っ子姪っ子とは言葉は通じないのにひとつ屋根で暮らすとそんなの関係無くて、別れの日にはお互いに泣きそうになったものでした。
最近は、もう子供達も大きくなって其々の目標に向かって頑張っているので親子揃っての帰省も難しい忙しさで…行くと必ずキャンプを主催してくれた叔父夫婦は他界し、10人分の食事を作ってくれた母も今は闘病中であの夏のパワーは出せそうもありません。
その時は小さな子供達を飽きさせないように楽しめるように、と体力の限り必死に過ごしていましたが、今になって思い返すと、あの夏休みはあの時だけの特別なものだったのだと気づき、懐かしく切なくなります。
そうでなくても、このコロナ禍で他県や海外に散り散りに住んでいる私達は帰省しようにも出来ない状況が続いています。いつかまた、世界がコロナを乗り越えて、母が病気を乗り越えて、成長した息子と甥っ子姪っ子達と賑やかな食卓を囲める日が来ますようにと強く祈っています。
ここばち
女性/53歳/神奈川県/個人事業主
2020-08-10 16:47