納豆と遠心力
冬の陽が部屋の奥まで深く差し込むようになった寒い朝、小振りのドンブリを胸にかき抱き、箸を「握り箸」状態に強く握り、納豆とそのユカイな(?)仲間たちを、ガーッとかき混ぜたい衝動にかられた。
刻みネギが、ヒジキが、チリメンジャコが、カツオ節粉が、ごはん粒たちが、みるみると納豆の糸の渦に吸いこまれていく。
その絵は、まるで銀河系に散らばる星々の渦ように美しい。
いや、もしかするとこれは、納豆という名の万華鏡か。
その渦の美しさは見るものの目をクギづけにする。
あぁ、神様!ワタクシをこの世に送り出してくださり、ありがとうございます!天を仰いで感謝する。
見る者を虜にする美しさだ。
が、しか〜〜〜し!
地球には「遠心力」という慈悲のない物理的法則が存在する。
美しい納豆と具材の宇宙が奏でるシンフォニーを、民衆の歓喜を、あざ笑うかのような法則だ。
握り箸でかき混ぜるという、すこぶる高尚で高潔な行為に没頭し、恍惚としていると…
トビチルのである。
そう、いい歌を作るんだよ、彼らは!
って、それはミスチル。
トビチルのだよ。
納豆が! ヒジキが!
チリメンジャコが!
刻みネギが! ご飯が!
なぜだ⁉︎
なぜなんだ⁈
なぜ、神はこのようなハードルをワタクシにお与えになるのだろう。
ワタクシの58年の人生に、偽りはない。
人に恥じることはしていない。
このような重荷を背負わされる重罪は犯していないのだ。
あぁ、なのに、なのに…。
ドンブリを置く。
手をグーにしてチカラいっぱい握っていた箸を置く。
力まかせに握っていたせいか、緩めれば、かすかに震える細く白い指。
散って行った具材を一つ一つツマんで拾う。
この淋しさを、空虚さを、哀れさを、神はご存知であろうか?
戻ってきた具材ひとつひとつに「お帰り♡」と小さく声をかける。
やっと、吾にも笑みが戻る。
与えられる試練は超えねばならぬ。
ワタクシは負けない。
納豆やヒジキやチリメンジャコやカツオぶし粉と手をつなぎ、共に明日もまた遠心力と戦う!
くみ
女性/65歳/東京都/黄色くみ広報室長
2017-11-10 12:43