さらに、AIBOについて。
『 我々の神々も、我々の希望も、もはや、ただ科学的なものでしかないとすれば、我々の愛もまた科学的であって いけないいわれがありましょうか。』
という(笑)
前にも書いたことがありますが。
130年前。フランスで著された『未来のイヴ』という小説の冒頭の一節。
文学史上はじめて、人造人間に『アンドロイド』という言葉を用いたSF小説の先駆けでもあります。
美しい歌姫に恋する男。しかし彼は現実の彼女より、彼女を模して化学者が作ったアンドロイドを愛してしまいます。
人間そのものより、人間が作った人形こそ、完璧に美しい存在である、という。
うちの彼女さんともたまに話すことがあるんですが 「 人は独りでは生きられない 」というのは、どうやら本当らしい、と。
しかし、その中で、
必要なのは『他者たる存在』であって、それは生身の人間でなくとも、別にかまわないんじゃないか?というのが僕の基本的なスタンスです。
人形でも、犬でも、なんなら戦車のプラモデルとかでもいい。幻でも妄想でも思い出でも良いと思います。誰にも迷惑をかけず本人が幸せならいいじゃないですか。
昔はそれか許されなかった。
社会常識の『中道』を歩み、適齢期にはしかるべき手順にしたがい子孫繁栄に努めるべし、とね。
そのためにも人同士のコミュニケーションこそが最重要課題である、と。
しかし、コミュニケーションそのものがもはや『科学的』ですよね(笑) そして、なお、急速に進歩しています。web上で書込みしている誰かがAIじゃないという保証はないし、AIであっても支障はありません。
ましてやAIBOはきっと人の情緒に訴えるようなプログラムがなされて、最新のAIはオリジナルと呼べるほどにカスタマイズされていくのでしょう。
他者たる存在になりえるのであれば、AIBOでも充分満たされる。
AIBOしか知らない子供が生きたペットを無機的に扱う子になったら問題ですが。
人も動物も、その生き死にをさんざん経験してきたような人が、晩節の戯れにAIBOと暮らすなら良いと思います。
『自分の死後、誰がペットの世話をするか、心配しないで済む』
究極、AIBOの価値はそこにあるような気がします。
コーギモモ
男性/57歳/神奈川県/飲食業
2018-01-16 23:16