案件
1983年にJALが成田ーNYの直行便ができ、その年の秋に生まれて初めて2週間の米国出張を単身で命じられて行くことになりました。
カセットテープのウォークマン全盛の時代、英語に自身も無く、税関で咎められたら交渉する度胸もない自分はウォークマンを持って行かず、機内の流行歌チャンネルを聞いていました。
松田聖子のガラスの林檎が何故か引っかかり、60分起きにかかるガラスの林檎を聞く度、友人のグループにいたひとりの女の子のことを思うようになりました。そして到着する直前の12回目を聞き終えた時、彼女に告白しようと決めました。
生まれて初めての告白を決めて、出張中の2週間は午前中は仕事、午後は時差ボケと格闘しながら仕事、仕事が終わるとお土産を何にするか、どうやって告白するかと思いを巡らせて過ごしました。
当時はFAXと有線電話だけの世界でした、1ドル260円でホテルから1分通話すると8ドルかかりました。パソコンや携帯のメールというものは存在しておらず、簡単に電話することもできず、ひたすら悶々と妄想を膨らませて2週間を過ごしました。
そして、日本に帰ってすぐに手紙を書いて、おみやげと一緒に友人に頼んで渡してもらいました。
何回かグループで遊びに行く機会を得ましたが、告白童貞の自分としてはどうして良いのかもわからず、ひたすら手紙を送る毎日でした。そして2ヶ月目に本人から「友人としてしか思えない」と爆死しました。
頭の中が空っぽになって3週間過ぎた時、突然の電話をもらい、「つきあっても良い」との返事をもらいました。その後、サウジでの仕事予定があったのですが、当時のサウジは婚姻関係であっても女性の入国ができない国であったので、「サウジに行くなら結婚しない」と彼女に言われて、仕事をやめました。本当に小指で会社を辞めたのです(笑)
3月に退職、5月に外資系のコンピュータ会社へ転職、そして、9月に結婚しました。
生まれて初めての告白童貞は無理やり結婚まで持ち込みました。
でも…
告白していなければ、きっとサウジへ行ったはずです。その先の人生がどうなっていたか…、
別の人に告白していれば、もっと違う人生があったのではないか…
もっと待っていれば、若くて素敵な… と妄想が尽きない、ダメ人間です。
FUJI2
男性/67歳/東京都/自営業と自由業は違うんだぞっと…個人事業主さまは言ってみる~
2018-02-07 13:39

