3.11に思う
7年前の3月11日は金曜日でしたね。 あまりにも大きな揺れ、なき叫ぶ女子社員。 当時福島県南相馬市の会社に勤務しており、社長以下役員全員が不在の中、当時のその場にいた社員で職責最上位だった自分が、いち早く社員に帰宅指示を出したのは自分の人生で下したは我ながら自分を褒めてやりたいなと、今でも思います。
殆どの社員を帰宅させた後に会社に襲いかかった津波。 テレビで放映された地域ほど衝撃的な物ではありませんでしたが、それでもフェンスを破壊し事務所前の駐車場まで襲った津波の恐怖は今でも忘れる事が出来ません。
瓦礫で道がなくなった道を、居合わせた社員と共に会社の重機でなんとか車が走れる状態にし、流されて道を塞いでいた車をフォークリフトで端に寄せ、何とか帰宅出来たのは18時過ぎ。 息子、娘は自転車用のヘルメットを被り、コタツに潜り込んでいたけれども、無事だった事を確認出来たあの日。 昨日の事の様に思い出せます。
3月12日、午前中の異様なスーパーの混雑、午後からの原発事故の恐怖、夜に南相馬を脱出した事、全て昨日の様に思い出せます。
あれから7年、千葉に避難し、そして転職し、もう千葉県民になりました。 今や子供たちは完全に千葉の人間です。 震災の記憶も薄らいでいる様です。 それでも、あの日、あの頃に我々家族がどんな思いで過ごしたか、子供たちには忘れて欲しくはない、と思った3月11日でした。
自分の人生を大きく変えた3.11、決して忘れないでしょう。
梵天丸
男性/55歳/千葉県/会社員
2018-03-11 20:30