本日の案件 (いつの間にか母親より歳を重ねていた)
12月のある時、母の主治医に呼ばれました。
福岡で働いていた私は出張を兼ねて母の主治医に会いに行きました。
ちょっとだけ ほんの少しだけ覚悟していたことなんだけど、辛い言葉を耳にしました。
『たしか息子さんはキミひとりだよね。実はキミのお母さんは癌なんだ。末期癌でね、後3ヶ月持たないと思うんだ。そうだね、次の春はもう来ないよ。色々と考えて心の準備をしておいた方がいいよ』と。淡々と事務的に語るので理解する事にいっぱいいっぱいになり涙ひとつ出ません。
誰も居ない実家にひとり帰り、泣き崩れました。大声で泣いてしまいました。
それから福岡に戻り会社の上司に相談すると鹿児島への長期出張を組んで貰いました。2週間毎に帰社する日々が続きます。鹿児島の病院で寝泊まりし、そのまま出張先へ行き、また病院へ。母は枯れるように衰え痩せていきます。まぶたは半開き口も聞けず静かな病室でハートウォッチャーが弱々しく時を進めて行きます。
3週間くらい寝泊まりが続いたでしょうか、私の体力もだいぶ消耗してきた頃、出張先で親戚から電話連絡が入りました。
「ちょっと病院へ来てくれる?
もうダメかもしれないの」と。
急いで車を走らせました。
ラジオからアナウンサーの声が耳にとまります。
「今日、3月6日は24節気で啓蟄(けいちつ)といいます。カエルやヘビたちが春から目覚めるとされる日です。今日の鹿児島は陽気で暖かい春の訪れですね。」
急いで病室へ行きましたが既にハートウォッチャーは外され静かになっていました。
私は間に合わなかったけれど
お母さん頑張ったね。
春まで持たないって言われてたけど啓蟄は暦の上で春なんだよ。
あれから27年、啓蟄の日が来ると思い出します。
「お母さんありがとう。
3年前にもうあなたより年上になってしまいました。
大きな病気もなく元気に働いてます。天国はいい感じですか?庭で真っ黒に日焼けしながら草むしりとかしてしてるんでしょうね。」
花見の季節になるといつもそんな感じに浸っています。
また 当時の上司の方たちの思いやりにも感謝です。人に優しく出来るって素晴らしいですね。
私もそういう上司になりたいです。
ガンモ
----/60歳/----/—
2018-04-03 17:02