案件
皆様、お暑う御座います。
昔々、初めての就職するときオイルショックの真っ只中で環境は最悪でした。
それでも技術屋になるんだと期待して入社、プラント制御システムの品質管理に配属されました。
すごい方々が設計し、製造された、システムがちゃんと動くか、動かないとしたら何が原因でどうするべきか、現場に設置された後にきちんと動くかを検証するのが第一の仕事でした。
そして、優しい営業の方々がお連れする、お客様方の前で動作することを披露して、「よろしい、受け取ってやろう」と承認を得て、出荷部門の優しいお兄様方にお渡しします。
現地では設置工事の優しい指導を受け、システムを設置してテストを行います。完了後、お客様と現地で保守を担当する偉い諸先輩方々の前で動作を披露して、作業を終えるという仕事をしていました。
朝7時半に出社、終バスの午後9時半に間に合えば良し、基本は間に合わないので週3-4は会社に泊まって、土日も普通に仕事もしくは勉強をしていました。
9日間で120時間の残業を終え、駅で電車を待っている時に「あの電車に飛び込んだら楽になるのだろうな~、でも通過列車じゃないからスピードを落とされて死ねなかったら痛いだろうな~」と思ったこともありました。直属の先輩社員が突然失踪して数カ月後に山で遺体が見つかる、午前に話をした後輩が午後に会社で飛び降り自殺すると色々なイベントがありました。
ここで、自分の中に目覚めたのは「弱いものは去るべき」という考えです。
死なれても迷惑なだけ、調子が悪くて仕事ができないならば、さっさと去ってくれ、でなければ企業活動の阻害要因でしかない。アダム楽園を追放された時に「額に汗して一生働け」と命じたから、労働は苦しいもので楽しいものではないと解釈しています。辛いと文句を言うならな、まして働けないのであれば、さっさと退いてくれ。企業活動に迷惑、まして生きることの放棄は親に大迷惑をかけることになると知りました。
さらに、古い技術屋の中には技術情報を持っていることで自分の存在価値を維持する者がたくさん居ました。これは製品が変わると存在理由を失うことになるので、この人達に将来は無いと考え、技術屋として「顧客の満足を考える」ことに腐心しようと転職人生が始まりました。
FUJI2
男性/66歳/東京都/自営業と自由業は違うんだぞっと…個人事業主さまは言ってみる~
2018-07-18 13:35