釈迦に説法案件
ですが、
釈迦に反論です。なにも悲しいことはないというけれど、それは違うとおもう。死んでしまったら、悲しい。それは確かにそうで、釈迦さんが言うことも一理あると思いますが、ちがう。人間が悲しいのは、もうその人には会えない、話せない、触れない、笑顔も見られない。死後の世界があったしたら、違う世界に行ってしまった。だから、悲しい。悲しい理由がちゃんとある。理由がないわけではない。遠い外国に行ってしまうのと一緒。と私は考える。ただ外国の場合は、まだこれから未来会える可能性はある。だから、死んでしまうよりは、悲しみは少ない。手紙やメールも出来るかもしれないし。でも、根本の悲しさは同じだと思う。
ほおく
男性/50歳/東京都/会社員
2014-09-17 18:34