本日の案件。とは関係ありませんが…②
宮崎県は以前、鹿児島県の一部だった時期が約6年間ありました。
廃藩置県の政策により1871年、薩摩、大隅、日向の3つのエリア(藩)が鹿児島、都城、美々津の3県が誕生しました。
都城県と美々津県が現在の宮崎県の礎となりますが、現在の鹿児島県に位置する志布志市と曽於市と大崎町、霧島市、湧水町の3市2町は当時、都城県の管轄でした。
現在は都城市役所が建てられている場所にかつての都城県庁があったため、跡地の石碑が敷地内にもあります。
2007年の流行語大賞、宮崎をどげんかせんといかんは厳密に言うと鹿児島弁になります。
前の知事、東国原さんが都城出身である何よりの証明です。
都城県と美々津県の誕生から5年後の1876年…
この2県を鹿児島県が九州合併します。
この出来事から、鹿児島県民が宮崎県民には何としても負けられない、鹿児島の方が宮崎より上なんだというライバル意識が芽生え始めたとも言われているようですが、私にとっては別にどんげでも良いネタに過ぎません(笑)
この出来事をきっかけに、日向かぼちゃ軍団の独立運動が日に日に高まっていきます。
分県運動のピークを迎えた1883年…
鹿児島県の一部を分離する形で宮崎県が誕生します。
この時、志布志、大崎、松山が鹿児島県の管轄に確定した為に南諸県郡(みなみもろかたぐん)と呼ばれていた地域が曽於郡(そお)と呼ばれるようになりました。
鹿児島県と宮崎県が焼酎王国になった契機に…
江戸時代の飢饉がありました。
飢饉に強いサツマイモやコガネセンガンなど、芋の生産を確立させた当時、その芋に更なる付加価値を乗せる為に焼酎の製造というイノベーションが起こりました。
一般的に焼酎の度数が25度と言われている中で、宮崎県は度数20度の焼酎が良く出回っています。
ただ、廃藩置県の見直しによる県境の移動が何度かあった歴史的背景が関与しているのかは良く分かりませんが、志布志と大崎では鹿児島県であるものの、黒霧島の20度が地元の焼酎メーカーと同じくらい売れまくっています。
くろやん
男性/46歳/宮崎県/会社員
2018-08-02 11:35