社員掲示板

案件

皆皆々様、お疲れ様です。

僕が騙されたのは、大学の制度です。もともと、その制度が他の大学には無くて、良い制度だなって思ったのが、今通っている大学に決めた一因です。
そして、いざ大学に入ってみて、その制度がかなり大きな手足足枷になっているのだと気付きました。やりたい勉強をさせてもらえず、ひたすら色んな勉強を強制させられるのです。しかも、単に単位を取れば良いのでは無く、高い点数を取らなければ、自分のやりたい勉強をする機会が完全に奪われてしまうのです。たしかに、一つのものに初めから凝り固まるのは、良くないですが、いくらなんでも、設定がキツすぎます…。
この制度は、割と世間でも良いと言われているそうなのですが、僕は声を大にして言いたい!思ってるほど、良い制度じゃ全然ありませんから!

冬好きの夏野

男性/25歳/神奈川県/大学生(今度の春から社会人)
2018-08-07 13:06

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お疲れ様です。

大学も企業と同じですので、資源が無限に使えるものではありません。
限られた資源を有益に運用するためには取捨選択は必須です。どうしてもその勉強や研究を続けたいということであれば、ハードルをクリアして自分にその資源を使わせるにふさわしいことを証明しなくてはなりません。厳しい言い方をすれば、それが出来ない者が足切りされずに学び続けても大学としての存在理由を危うくするだけだと考えます。

FUJI2

男性/66歳/東京都/自営業と自由業は違うんだぞっと…個人事業主さまは言ってみる~
2018-08-07 13:48

お疲れ様です。
レスありがとうございます。

おっしゃっていることは良く分かりますし、ごもっともだと思います。
その分野で選考され、その結果足を切られてしまうのは良いとは思うんですが、しかしながら、それ以外の部分で、足を切られてしまうんです。そのため、いわゆる楽単で点数を稼ぐことがよくあります。なんだか非常に打算的だなぁ、と。もちろん正論だけで何とかなる世の中ではないと思いますし、最早正論が通る世の中とも思っていませんが、それではあまりにも勉学というものの本質を失っているような気がしてしまうのです。文系なのに、理系の授業を取らなくてはならず、例えば、理系の科目で足を引っ張ってしまい、希望の学部に行けないこともあるのです。

冬好きの夏野

男性/25歳/神奈川県/大学生(今度の春から社会人)
2018-08-07 15:08

お疲れ様です。

文系だから、理系だから、という考えには賛同できません。これを専攻したい、その専門性を磨きたいというのは一理あるように思えますが、所詮は逃げでしか無いと考えます。文系だから理系の学問が不要というのはありません。その逆も同じです。たかだか大学の1年や2年程度で専門性などということがおかしな話です。学習の方法、論理の組み立てはどの科目であっても同様であり、その基礎学習で実績を積んだ者は専門に進んでも研究成果を上げられると考えます。

単純に言い換えれば、文系の読解力がなければ理系では通用しません。理系の論理展開ができなければ文系での分析は単なる自己満足でしかありません。好きなことだけを啄むことを勉学とは言えないと考えます。それは単なる趣味です。どのようなことでも貪欲に学び、あらゆる切り口から掘り下げていくことが勉学であり、これが本質と考えます。

入ってみて気がついた、学んでみてこの道でなかった、という学生が沢山います。それが事実であれば、早く辞めて、自分の希望する道が実現できる方向へ転換すべきであり、なぜそうしないのか疑問です。自分のような年寄りであれば、残りの時間は僅かです。時間を言い訳に行動を躊躇してしまいます。でも若い方々には羨ましい程の時間があります。状況を嘆いていてもそこに身を置く限り何も変わりません。残念ながら、変える力を持っていません。であれば自分の置き場所を変えることだと考えます。

FUJI2

男性/66歳/東京都/自営業と自由業は違うんだぞっと…個人事業主さまは言ってみる~
2018-08-07 15:43

お疲れ様です。
レスありがとうございます。どうせ未熟者ですから、鼻で笑えばいいものを、わざわざ反応して下さって、ありがとうございます。

僕が言った本質というは、決して一つの分野ばかりをやる、ということでは決してなくて、FUJI2さんのおっっしゃるように、貪欲に学ぶこと、多くの切り口から掘り下げていくことであります。書き方が悪かったです。ただ、何でもかんでも自然科学に組み込むことはできないと僕は考えています。FUJI2さんからしたら、このような考え方自体、「非論理的」で、ただの自己満足で、無意味なものでしかないのかもしれませんが。
僕が言いたいのは、そのように真面目に色々なことを勉強して頑張っている人(例えば、文系でちゃんとした理系科目をとる人)よりも、楽単などでゆるゆるとやっている人(例えば、先生の話を聞いて、それに同調すればいいだけの授業をとる人)の方が点数が高く、結果希望の学部に行ってしまう、ということが往々にしてある、ということです。学部としても、そんなに真面目でない人よりも真面目な人の方がいいと思うのですが。確かに、要領が悪くて、結果が全然出ないような人間は、研究者としては、あまりかもしれませんが。


僭越ながら、若者代表としてFUJI2さんの疑問に、一意見として答えさせていただきます(完全に個人の経験と推論でしかない、自己満足ですが)。大学を研究機関だと捉えていない人が多いからではないでしょうか。つまり、就職の一つの道具。だからこそ、一度辞めると、履歴書に書かなくてはならない。子どもの僕からしたら、社会にはそういうことを許さない風潮(受験で結果至上主義に触れてしまうので。それに、日本には大学の序列がありますし。)があるように(実体がなくとも)思えてしまいます。浪人がネガティヴに捉えられるのと同じ感じでしょうか。
あとは、なんとなく今までの自分を否定する感じがしてしまい、どうしても受け入れられないという点もあると思います。
時間があるとは言っても、社会が受け入れてくれる消費期限を過ぎたら終わりに思えてしまう、ということです。

冬好きの夏野

男性/25歳/神奈川県/大学生(今度の春から社会人)
2018-08-07 16:36