今日
本部長、秘書、社員の皆様お疲れ様です。
戦争の話題やニュースの時にはいつも父のことを思い出します。
父は中学二年生の時に終戦を迎えました。
東京に住んでおり東京大空襲の時はたまたま疎開していたけれど、翌日家を見に行ったら庭の防空壕には不発の焼夷弾が刺さっており、門柱の上で飼っていたネコがうずくまったまま丸焦げになっていたそうです。
学校では授業はもっぱらサツマイモを作るために校庭を耕したり近くだった明治神宮に防空壕を掘りに行き、朝礼で校長先生のお話で『畏れ多くも賢くも』と枕詞を言ったらその次には天皇陛下の事を言うから直立不動で最敬礼をしないといけなかったそうです。
運動靴は配給で左右のサイズがバラバラなのが当たり前で、靴に足を合わせて履くものだったらしく、父の足の爪は最期までその時の変形したままでした。
『玉音放送の時は正座で聴いていた。大人は泣いている人が道端にもいたけど、俺は天皇陛下がラジオで喋っている事に驚いて、何か大きなものが変わるんだ。大変なことが起きたんだと思った』と話していました。
これらの話は子供の頃から終戦記念日関係なく幾度と話してくれました。きっと他にも辛い事は沢山あったと思いますが、母曰く辛過ぎて語れないとのことでした。
父は数年前に亡くなりましたが、父の話は名前を知らない誰かの体験談よりもっと身近な出来事に感じられるので、我が子には私が伝えて行こうと思っています。
長文失礼しました。
suu
女性/42歳/東京都/会社員
2018-08-15 10:26