終戦記念日
終戦記念日を迎えて❗️
私の父親は満州に戦争に行きました。勿論一番下っ端ですから、最前線の歩兵隊です。よく聞かされたのは前線でドンパチやっている事よりも、とにかく食べ物が無いと言う事でした。
野ネズミや訳の分からない鳥、カエル、トカゲ、蛇なども食べたと言ってました。そんな父親でしたので私が子供の頃は物凄く厳しかったです。とにかく食べ物や資源を大切にしなさいといつも言われておりました。
戦争の話に戻りますが、そんな極限状態で戦争どころじゃ無くてどうやって生き抜くか自分との戦いだと言ってました。
ある日ヘトヘトで隊列を組んで歩いている時に隣の兵士が突然悲鳴を上げて倒れたそうです。流れ弾が腹に当たって倒れ込んだとの事でした。軍医も居なく当然救急箱などありません。そこで父親はその兵隊の腹にウイスキーをぶっかけ小刀で弾をえぐり取ったといいます。痛くて暴れるのを、五人がかりで押さえつけて何とか処置したらしいです。その兵隊は痛さで気絶したらしいです。とにかく一命を取り留めた様でしたが、やがて死んでしまった様です。もし並び方が逆だと父親が死んでいて、私はこの世に存在していなかったかもしれませんね。
ドンパチが激しくなって敵の戦車隊を潰せとの指令があった様です。今聞けば漫画みたいな話ですが、まず穴を掘ってそこに地雷を抱いて隠れる。ひたすら敵の戦車が来るまで待つ。戦車が来たら直前に穴から出て戦車の腹に地雷を貼り付ける任務を遂行したと言ってました。地雷は磁石になっていてすぐにくっ付くらしいですが、直前に戦車の前に出るのが恐怖だと言ってました。失敗して踏み潰され即死した兵士もたくさんいたらしいです。
終戦を迎え父親はたまたま日本に帰る船に乗れたらしく無事に帰って来れたと言ってました。あぶれた兵士はロシアに連れて行かれて強制労働させられたとの事でした。その殆どの兵士が飢えと寒さで死んだらしいです。日本の本土も空襲や原爆で大変な事になっていましたが、現場の兵隊も悲惨な状態だった様です。
兵士一人一人に家族がいて人生がある訳でその自由を奪ってしまう「戦争」。
第二次世界大戦が終わって73年も経ちますが未だに世界の何処かで戦争が起きています。この現実を皆さんはどう思いますか?
暴力で暴力は止められません!
zero52
男性/67歳/埼玉県/会社員
2018-08-15 17:12