選択
広島カープが球団初のリーグ優勝をした1975年。日本シリーズの対戦相手は旧 阪急ブレーブス。
当時の阪急には2枚看板の投手がいた。
かたや山田久志は後に現役19年 284勝を挙げたアンダースローの大投手。この年は全盛期に入った6年目。
そして、パリーグ新人王の『 山口高志』
対戦したすべてのバッターが『自分が見た中で一番速かったのは山口』と口をそろえる豪腕。
このシリーズでも、選球眼の良さで知られていたカープの四番・山本浩二が、高めのストレートに対し20センチも下を空振りしていたのが衝撃的。
169cmと小柄な身体のバネを伸ばして、真上からナタを振り下ろすように投げる豪快なフォーム。
後年、本人が語ったところによれば、
リリースの瞬間に踏み出した足を踏ん張り、前に行こうとする下半身に急ブレーキをかけていたという。そうすれば行き場を失った下半身のエネルギーが『テコの原理』で上半身に乗り、さらにスピードが増したという。
しかし『テコの支点』にあたるのは、山口本人の肉体である。
チームメイトも医者も危険に思い、投げ方を変えるように忠告したが 「この速球でプロになったのだから投げ方を変える気はない」
「自分は『太く短く』でいい」と固辞。
シーズン中は月に一度、膝にたまった水を抜き、オフには針治療するのが常だったという。
そして入団から4年目には致命的な腰の故障。
デビューから4年で47勝をあげるも、故障後は引退までの3年間でわずかに3勝。プロ生活7年で50勝、実働4年の短いプロ生活。
それでも「悔いはない」という。
山田久志も若手の頃は速球派でならしていた。しかし、山口の球をみて「オレの速球など30歳で通用しなくなる」と思い、軟投派に転向し伝家宝刀 シンカーを身につけるのである。
山田の長く続いた現役生活や、大記録はもちろん素晴らしい。山口の「悔いはない」はプライドに強がりも含まれているだろう。
だけど、男子としては、山口のような選択に強い憧れをいだいてしまう。
ちなみに、山田は不動の実績を持って各チームのコーチを歴任するが、山口もまた『豪腕・山口』のネームバリューにおいてオリックスや阪神のコーチとして大成し、60代後半の今も大学野球の現役コーチなのである
コーギモモ
男性/58歳/神奈川県/飲食業
2018-09-05 01:56