RN 崖っぷちのみーこさん へ
僭越ながら、いくつかの経験談を。
大切な存在を亡くすんです。
悲しくて当たり前です。
思いっきり泣いてあげて下さい。
それの何がいけないのでしょう。
僕はうちの仔を亡くして7年。心にポッカリ空いた穴の大きさも変わりません。それでも表面上、何も変わらず生活はしています。
亡くしたばかりのころは、たびあるごとに穴の畔に立ち尽くしては呆然としているだけでした。今は時々、懐かしく穴を見に行きます。
そのうち『生きている』のも『いない』のも、遊んでいるのも死んでるのも大して変わらない、と気づくはずです。
モモちの存在に変わりはない、だから、要は自分が強くなり、見分を広げて、心も大きくすればいいだけです。
『ペットロス』なんて言葉があるから、病気や特別な現象のように思考してしまう。呪いみたいなものです。
『ペットロス』なんだかそれらしい英語です。
マイドッグ=英語では人間の所有物なんです。
『物』だからロス=失う=損であると思考する。
僕はそんな思考や哲学や学説は全否定します。
僕はモモちと暮らしていました。
彼女を『ペット』=愛玩動物と思ったことはないです。まぁ、病気になれば動物病院に行くし、区役所には『畜犬登録』しなきゃいけませんが、それは分類上、人間じゃない、というだけだから仕方ないとして(笑)
彼女を『飼っている』と思ったこともなく、だから『ロスした』とも思っていません。
生きてる時から『家族』なのかなんなのか『空気』のように当たり前にそばにいたので、今は肉体がいないことが当たり前に変わっただけですね。
ご飯もトイレも散歩もやることがないから、名前を呼ぶくらいです。RNコーギモモも、モモちが死んだことを無くさない方策のひとつです。
どうせ、あなたも私も、30~50年もすれば自分自身の記憶を失うか、肉体を失うかするんでしょう。それまで悲しみも思い出も抱えて、引きずって生きていけばいいと思います。
そのくらいの覚悟なく、結婚も、人の親になることも、動物と暮らすこともするな、といいたい。
覚悟は先でも後づけでもかまわない。
難しいことでもないですから。
少なくとも『ペットロス』などクソ食らえ。
何も怖いものなどありませんよ。
コーギモモ
男性/58歳/神奈川県/飲食業
2018-09-24 01:30