類稀なる環境
前回の『別居婚の末期』へのレスありがとうございます。通常なら ひとつひとつに対してリアクションを取るべきですが、意見や感想を尊重する方針なので、記事レスはそのままにしております。興味ある方は『別居婚の末期』で検索してください。
私が生まれたとき父は居ませんでした。正確に言えば物心つく年頃に居ませんでした。運動会のとき父親参加型のイベントには伯父が代役でした。日常では母が父母の役割りであり、片親で不良娘に育ってはいけないと躾には厳しかったです。低学年の頃、大病を患い長期入院をした私は、養護学校という選択肢を知らぬまま1年を棒に振ってしまいます。ひとつ目の転機だったかも知れません。塾経営をしていた母は小さな会社社長と再婚します。入院費等が嵩んでいたのでしょう。好きで再婚したわけでありませんから、私も好きになれません。奇妙な家庭が出来上がりました。10年続きます。この頃から母は強いストレスを感じ始めたのでしょう。2つ目の転機です。
中学生のとき未来に繋がる同級生と出逢います。3つ目の転機です。
高校では女子寮のあるところを選び親から離れます。親から離れたいという事もありました。持ち前の自由奔放さも現れ始めました。絶対安静と言われていた時期とは異なり体育会系の部活で夏休み頃には日焼けで真っ黒になっていました。4つ目の転機だったかも知れません。
母は体調を何度か崩してしまいます。入退院を繰り返し長時間の手術を受けました。癌でした。唯一の肉親ですからひとりになるのが怖くて私自身配偶者を選ぶ事にし家族を作りました。中学のとき出会っていた彼です。
結婚や社会に出るタイミングはほぼ同時に起こり、母との永遠の別れも直ぐにやってきました。癌はストレスに晒されて発症する免疫的なものです。10年もの間、配偶者から浴びせられたのでしょう。私を卒業させるまで辛抱強く我慢したようです。
これらの転機は偶然だったかも知れませんが、私にとってひとつひとつは必然的な経験であり環境でした。
27の現在、配偶者から強いストレスにあい、次の転機が起きようとしています。早く決着しなければ、私自身の身体が持たないかも知れません。昨年、原因不明の病もあり1週間休暇を取りました。別居婚生活のすれ違いによる調停離婚申立てを行い、逆に収入格差による婚姻費用申立を受けました
はっぴいだもの。
女性/34歳/東京都/ (๑ఠ‿ఠ๑)
2018-09-25 04:05