今日の案件について
茨城でも田舎育ちの私の反抗期は早く
中学生の頃には、夜中遊びまくったり
親を呼び出されることも多く
いろんな人に迷惑をかけていました。
高校へ入学できたことも
親戚からは奇跡と言われるほど
いい娘とは嘘でも言えない馬鹿野郎でした。
高校に入ってからも
校則を破り、学校をサボり
いけないことばかりを繰り返し
進級できるか、できないかそんな3月に
お母さんが病気でたおりました。
貧血や過労ではなく
脳の病気でした。
ちょうど友達と高校をサボりカラオケで熱唱してる時に、祖父からの電話でそれを知り
寒気と吐き気が一気にきたこと、今でも鮮明に覚えています。
お母さんは2年間の植物状態へ
それでも、生きていることが私たち家族にとって唯一の光でした。
奇跡的に進級し、高校を卒業する頃、
お母さんは天国へ旅立ちました。
2年間も頑張って生きいてくれたこと
きっと私や姉妹たちが心配で
頑張ってくれたんだろうな。って思います。
私も30歳をすぎ
もちろんちゃんと就職もして
社会じゃとして
地に足をつけて生きています。
自分の稼いだお金でご馳走したかった
何か好きなものを買ってあげたかった
助手席に乗せてあげたかった
できれば、未来の旦那さんや子供にも
合わせてあげたかった。
改めてごめんなさいは
もう言える場所にはいないけど、
いつも、お母さんへの感謝と尊敬と
ありがとうの気持ちを持ち続けています。
お母さんを生んでくれたおばあちゃんが
まだまだ元気でいてくれていること
これも当たり前じゃなく
奇跡なんだと感じながら
おばあちゃん孝行をこれからも
続けていきます。
おかあさーん!
いつまでも見守っててね!
おばあちゃん!
これからもよろしくね!!
あるぷすの少女ばにー
女性/37歳/茨城県/会社員
2018-11-28 18:24