引きずってます案件【
お疲れ様です。
個人的な考えかもしれませんが、おそらく共感できる方もいるのではと思って書きます。
屈辱というものは、死ぬまで忘れないもので後悔とは違う種類のものだと思う。
それを思いだすと無意識に声になっている。
消したくても消せないから声に漏れるんだろう。
声に出るということはかき消そうとしているからじゃないか?と思う。
例えばイジメられた経験があったとして、人前で辱められた時の瞬間のことを思い出した時だろう。
多分、かき消すことは出来ないと思うけど、そうやって自分の中で消そうとしているということは今がそうではなく、強くなっているから消したいのだろうと思う。
今も残るかき消そうとする個人それぞれの何かは生きる糧になっていると前向きに捉えて墓まで持っていけばいいだろうと思う。
また思い出したら声を出せばいい。
スッキりするから。
自分の何かは ナイショです。
浅草のプリンス
男性/53歳/東京都/会社役員
2014-10-09 15:22