震災
お疲れ様です。
本部長は関東の番組だから関係ないと言っていましたが
宮城県出身で現在都内で働いているわたしはとても救われる言葉でした。
ありがとうございます。
。
、被災当時は16歳の高校1年生でした。
幸いなことに実家が損壊しただけで済みましたが、れっきとした被災者です。
当時は高校2年に上がっても電車が復旧せず、5月半ばまで休校が続き、
同級生のみんなが生きているのかずっとずっと不安な日々を過ごしました。
高校を卒業してからは福祉の勉強をして資格もいくつかしゅとくしました。
その勉強の中で福島の仮設住宅に住む子供と触れ合ったりして、
自分も被災者なのにもかかわらず、他の被災者を見て胸が苦しくなったことを覚えています。
現在は仕事で上京し暮らしていますが
出身が宮城というだけで、
地震大丈夫だったの?と興味本位(なのかはわかりませんが)で
聞かれることがとても多く、日々戸惑っています。
大丈夫だったよ!とは口が裂けても言いたくないのです。
何も大丈夫ではないからです。
それを聞いてくる人は
両親は亡くなってますとか、地元はもうありませんとか
言われたらどうするつもりなのだろうといつも思います。
幸い家が壊れただけの私にならまだいいですが、、、
私の東京で元気に暮らしている姿を見て、大丈夫そうに見えているのでしょう。
傷は癒えないままですが、生きていること人感謝して明日からも前を向いていきます。
普段言えないことを吐かせていただきました。すみませんでした。
みなさんの日々に笑顔の花が咲き続けますように。。。
example
女性/29歳/東京都/会社員
2019-03-11 17:30