長く生きるということ....とは。
無事に天寿をまっとうするのは「普通」だと思う自己バイアスの強さは誰にもあるだろう。自分は大丈夫、一度も事故は起こした事も無ければ、貰い事故もない.....とか言えるだろうか。高齢化社会、セミリタイアしたからといっても身体は元気いっぱいな人もいて、知力体力には個人差がある。
昭和33年、オリンピックを目前にした高度成長期、首都高、新幹線、東京タワーなど様々なモノが構築されてきた。
昭和94年、あの頃生まれた希望の子供たちはみんな還暦を迎え、そして昭和95年に56年ぶりのオリンピックが自国開催される。いろんなインフラは再構築され当時の建物が再利用される事はほぼ無い。
何故だろう。自動車運転はアクセルとブレーキがあり、右脚一本で操作するだけに簡素化され、人は何も考えずラジオでも聴きながら、あるいはおにぎりでも食べながら「ながら運転」が簡単に出来るようになってきた...。
システムの安全性を考えるとき、人為的な操作をなるべく入れない方がいい、とされる(少なくともそういうモノ創りをしてきた)。インフラが進化してもオペレーションを出来るだけ少なくする事は基本である。
自動車には助手席がある。助手とは何か。馬車だった頃の名残りが助手でありその席が助手席だった。自動車における助手席はその名残りであって助手をする訳じゃない。昔の車にはサイドブレーキがあって(今もあるが)、文字通り運転者の左サイド、助手席の右サイドにあった。仮免許時はナンバープレート周辺に「練習中」とつければ運転が出来る(今も?^_^;)が、助手席に座るベテランは右手のサイドブレーキを汗ばむ手で握る事になる。未熟な仮免許者のブレーキとなるのだ。もちろん左右確認、交通状況も確認するだろう。
あれから60年、車は進化しハイブリッド化され、あるいは電化され、坂道発進で後ろに滑る事のないオートマになり、人は「考えて運転する」ことから解放されてしまった。
◽ 指先は頭から出た脳である
左手でシフトアップするとき、右脚で軽くアクセルタコメーターを上げつつ、左脚でクラッチを切り左手で操作。カクンとならないように左右の脚のタイミングを何度も何度も頭を使う。
もっと考えるインフラを作った方がいいかも知れない。
これだけ便利になっても(ry
はっぴいだもの。
女性/34歳/東京都/ (๑ఠ‿ఠ๑)
2019-04-27 08:15