あ〜んけん♪
母のような女性にだけはなりたくないと思って生きてきました。
体が弱く、いつも「疲れた」「頭が痛い」を口グセのようにつぶやいてました。
父からは「病気のデパート」とよくからかわれてました。
口ぐせのもう一つが「体が弱くて親に反対されて仕事が持てなかったけど、本当は教師になりたかった。仕事がしたかった。」
グチやため息の多い母でした。
嫌いでした。
愛情を受け取りながらも、同性としていつも反発してきました。
姉兄の三人の中でいちばん実家とは疎遠な生活をしてきたのは、そんなせいかも知れません。
めずらしく実家に帰ったある日、「あんたにこれあげるから」と母から指輪を三つ渡されました。
父は会社員です。
高価なものではないでしょうけれど、うれしかったです。
母の意思でくれたことが。
寄り付かず、いつも反発していたのに。
亡くなってから、家族が遺品を分けてましたが、私は早々に「なにも要らない」宣言をしました。
本当になにも欲しくなかったんです。
母が生前、『自分の意思』で私にくれた指輪があったから。
こうして振り返ってみると、
ひょっとすると私は、嫌いで反発しまくった母の意思を、知らず知らずに刷り込まれて、こんな仕事やります人間になってしまったのかも知れませんね。
会社の解散をも間近に控え、身の回りの断捨離をしまくって、モノは最小限にしたつもりでいました。
… が、ひとつ重たい荷物があることを思い出してしまいました。
三つの指輪。
くみ
女性/65歳/東京都/黄色くみ広報室長
2019-05-09 08:42