ワタシ
最近、気がついたことなんですけど、
大学で扱われるような学問というのは、
要するに「名前をつけること」なんだな、と思いました。
新種の生き物や、新しい彗星みたいに分かりやすい発見に名前をつけることもありますし。
あるいは、統計をとったり、実験データを蓄積したり、そうして発見された、新しい傾向にも名前は付けられる。
ところが、人の役に立つ発見もあれば、学術的には意味があるかも知れないけど、関わる人間が誰ひとりハッピーにならないという発見もあるんですよね。
それでも、発見者には「名付け親」という名誉が与えられるから、皆、競って名付け親になりたがる。
そうして新しい名前を耳にした人も、新たな言葉としてすぐに使いたがる。なぜなら、誰かより先に新しい言葉を使う自分は誰かよりも優れていることになるから。
流行語にもなる。
ところが名前は言葉であり、言霊であり、ある種の呪いでもあるから、誰もハッピーにならない言葉が独り歩きをして、誰かの心の弱いところにトゲのように刺さってしまうこともある。
そんな言葉はいらない、と思うんだよね。
正しくても必要ない。
嫌いなものは嫌い。
そういう時は、正誤は考えないようにして、感性のままに、頭から否定することにしています。
昔、モモさんにアガリクス茸を食べさせようとしたんだよね。「抵抗力を上げるんだって、身体にいいから食べな」って。
思いっきり拒否されましたから(笑)
「あんた、これ¥3000もしたのに…」
「茸嫌ーい、いらなーい」って(。-∀-)
時に、感性のままに生きる。
吠える!\(^o^)/
それがワタシ。
動物と暮らすほうが精神が浄化される良い例のひとつですね。
コーギモモ
男性/57歳/神奈川県/飲食業
2019-08-10 00:34