鹿児島大空襲
『鹿児島県は本土最南端に位置しているうえ、知覧、万世、串良などの特攻基地を設けられていたため、地方都市の中でも鹿児島市は特に空襲が激しかった。
6月17日、120機のB-29がマリアナ諸島から発進し、午後11時、鹿児島市上空に飛来。6月17日の空襲で死者2316人、負傷者3500人、市街地の44.1パーセントが損壊し、最終的な死者は3300人、市街地の93パーセントが焼失した。
』(wikiより引用)
母方の家系はこの影響を受けている。
今、私が存在しているのは命のリレーがちゃんと出来たからである。それは奇跡だったかもしれない。幼少の子を背負って焼夷弾の中を逃げ回ったという。空から雨のように落ちてくるのに、いったいどうして...。
きちんと、生かされているという現実を、時には思い起こさなくてはならない。
74年前、8月6日にも鹿児島は空襲を受けている。
一度鹿児島上空を飛行し北九州へ向かったが雲で視界不良だったため行先を変えたとか聞いたことがある。
知覧は武家屋敷も有名だが当時の特攻隊員の方たちの手紙も展示されている場所がある。高校生くらいの年齢でありながら しっかりと自分の命を見つめ、父母への思いも毛筆で書いてある。
戦争は絶対してはならない。
そういう願いを
全員が持たなければならない、と思う。
はっぴいだもの。
女性/34歳/東京都/ (๑ఠ‿ఠ๑)
2019-08-10 21:31