てくてく案件〜あの日、すごく歩きました〜
やしろ本部長、浜崎秘書、リスナー社員の皆さま、お疲れさまです!
いつも楽しい時間をご提供いただき、ありがとうございます。
1995年1月19日、阪神淡路大震災2日後、一生忘れられない「てくてく」です。
神戸生まれの私は、神戸市須磨区で被災いたしました。
東京の営業部門がスタッフの安否確認を続けていたのですが、大半は市外・県外へと避難し、
神戸市内の自宅に残っていた中から、私が「会社の様子を見てこい!」と指名されました。
もちろん電車は動いていませんし、とても車を出せる状況でもなく、リュックを背負って歩くしか
方法はありません。途中に通る長田区は幹線道路が陥没し、そもそも火災が続いていました。
懸命に救助にあたる自衛隊の皆さまの横を、目を潤ませながら、片道4時間以上の道のりでした。
7Fにあったオフィスでは、あらぬ方向に資料の詰まったキャビネットが飛び、
試しに置いてみたガムテープが猛烈な勢いで転がるほど建物は傾いていました。
しかし、人の優しさに触れた1日でもありました。
パチンコ店は営業をしていないのに、「兄ちゃん、景品のラーメンやお菓子をタダで食べれるで」
怪しいソープランドは「兄ちゃん、水あるで」
(特殊浴場は法律で貯水タンクの保有が義務付けられていたようです)
見ず知らずのおばさんは「お兄ちゃん、あっちの公園に給水車が来てるよ」
大切な故郷の惨状と、人の温かみ、往復8時間を超える「泣きながら、てくてく」でした。
この番組の投稿としては重たいですか?
罰としてミルキーさんの「電気あんま」なら喜んで受けます!
世界で一番ミルキーが好き
男性/63歳/東京都/会社役員
2019-11-27 09:29