でんわ案件
本部長、秘書、リスナー社員の皆様こんばんは。お疲れさまです。
社会人になってからではなくて子供の頃でもよいでしょうか??
私は母方の祖父と話すのが苦手でした。
なぜなら山形県の方言が分からなかったからです。
山形では長男家族と住んでいましたので孫とも一緒に暮らしていましたし、長女家族も山形に住んでいましたのでよく会えていたようですが、末孫の私は埼玉生まれ埼玉育ち、距離も遠く、特に30年位前は山形新幹線もなく、行くには、まずバスで最寄り駅に行き、東武東上線、武蔵野線、埼京線と乗り継いで大宮駅まで行き、東北新幹線で福島まで行き、特急列車に乗り換え、また在来線に乗り換えてと、母の田舎に行くのは本当に一苦労でした。そんな、なかなか会えない末孫とは電話を楽しみにしていただろうに、年配の方って特に方言がキツいですよね、本当に本当に分からなくて、「〇〇なの?」って言われても「うん…」「うん…」しか答えられず、すぐに「お母さんにかわるね」と言ってお母さんにバトンタッチしていました。田舎に行った時は、いとこのお兄ちゃんお姉ちゃんは私にはゆっくり喋ってくれたり、標準語使ってくれたり、母も通訳(笑)してくれるので、何の問題もありませんでした。
でも、当時、母に「じいちゃんは方言がキツくて分からない」とはどうしても言えませんでした。
祖父が亡くなって、何回忌だったか、私も社会人なって、集まりがあった時に、方言の話になって、「実はじいちゃんの電話、山形弁キツくて分からなくて、直ぐにお母さんに変わってたんだよね」と言ったらみんな「そーなんだねえ、じいちゃんは特にねー。ロケラニちゃんには特に分からないよねぇ」と。母は「だからかー、いつも電話短いなぁと思ってたんだよねー」と。今思えばもっともっとたくさんお話してあげたかったなーと、じいちゃんも寂しかっただろうなーと後悔しています。後悔先に立たず、ですね。
そんな電話の思い出です。
追伸
有馬記念、枠番も決定しましたね!どうしましょー。もう選べません^^;
ロケラニ
女性/43歳/東京都/会社員
2019-12-19 19:07