社員掲示板

あれから25年かぁ、、、

今日は阪神・淡路大震災からちょうど25年ということで、、、
ちょうど25年前の朝、私の家もとんでもなくすごい揺れで、けどベッドから落ちるまでではなかったような感じでした。私は神戸の大学に通っていて、その日は1限目から授業があった日でした。その揺れで寝ぼけつつも「こんな揺れたんだから、電車も遅延するだろーから1限は休講だよね。とりあえずもう一回寝よう!」と再び寝ました。で、2限に間に合う時間に起きてリビングでテレビを見て、どれだけ衝撃を受けたことか。まだ携帯を持ってなくってポケベルでやり取りしました。大学近くで一人暮らししてた友達はみんな無事でしたが、友達の住んでたマンションの隣のアパートにも他大学の学生さんがたくさんいたけど、全壊していたりと。大学はその日からお休み。電車が阪急・JR・阪神と全て寸断されたからです。再開した翌年度6月下旬も、大学からは遠いJRで通学しました。大学生活を、復興を見つめながらずーっと過ごしてました。だから“ルミナリエ”も私にとってはただのイルミネーションではありません。
ただ、そこに貢献できてるかというとそんなでもなくって、そうして結婚を機に東京に来て、東日本大震災を遠くないところでまた体感することになりました。幼稚園に電話しても繋がらず、お迎えに行って我が子を抱きしめた安堵感と共に複雑なあの気持ちも。

いろんな災害がありますが、私にできることは本当に僅かですが、これからも出来ることをやって、気持ちを共有したいと思います。
長文を失礼しました。

大事な時だけコンタクト

女性/49歳/東京都/パート
2020-01-17 13:32

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こんばんは

神戸は以前の広告仕事の関係で何度か出張で行っただけでした。
それでも行く度に食事で訪れた阪急三宮駅近くの鰻屋さんのことが頭をよぎりました。
訪れたことのある街が崩れた、燃えた。
もしかして道ですれ違ったかも知れない人々が、倒れた。
会社に出ても皆んなテレビに釘付けでした。

私にできたことなんか何もありませんでした。せいぜいが買い物の釣銭を募金箱に入れる、その程度でした。

東日本大震災の時も同じです。

そういう意味では、私には行動力なんてありませんね。

一人ひとりができることは、本当に哀しくなるくらい僅かなことです。
でもそれで良いんだと思っています。
生き残ってる者は、しっかり生きることで、きっと良いのだろうと。

鴻の親父(おおとりのおやじ)

男性/66歳/埼玉県/居酒屋やってます
2020-01-17 17:54