社員掲示板

母の愛情たっぷり、量もたっぷり弁当

本部長、秘書お疲れ様です。
私が中学生だった昭和45年頃は校舎を木造から鉄骨に建て替える学校が多く、そのため給食室も使えなくなり、弁当持参の中学校が結構ありました。私の住んでいたのは葛飾区の下町地域で両親共働きの家庭も多く、そういう家の子供は登校の途中にパン屋さんで菓子パンを3つくらい買っていた子も多かったと記憶していますが私の母は専業主婦だったからか、毎日お弁当を作ってくれました。当時の男子向けの弁当箱はアルミ製のやや平べったいけど大きめなものでした。母の弁当のおかずは大体、シャケ、卵焼き、ハムをソースとケチャップで炒めたものがメインでした。そしてなによりもご飯の量が半端なく多いのです。とにかくとても入りきらない感じのご飯をギュウギュウ詰めにします。そして蓋を思い切り押しつけて輪ゴムで何とか束ねて新聞紙で包んでくれました。たまに炒めたハムのタレが漏れて新聞紙から良い匂いがしたりしましたねー。
お茶などを持たずに登校した時など食べている途中にシャックリが出たりした時もありました。そしてそのお弁当を一年近く毎日食べて私は肥満児になってしまいました。高校生になってからはまた痩せ型に戻りましたが私の人生で一番肥えていた時代でした。でもあの時の母のお弁当の味は今でもハッキリ覚えています。

よねパパ

男性/67歳/東京都/自営・自由業
2020-06-03 18:01

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