続・毒を吐く
自分が正しいとは思いたいが、絶対に正しいとは思わない。それでマウントを取りたいわけじゃないんだよね。
多少は理にそぐわないこともあるし、それによって誰かが《傷つく》とまではいかないけど、誰かの心が多少の痛みを覚えたとしても、アンチテーゼを言うだけは言っておいたほうがいい…一言、言っておきたい、という時に毒を吐くわけです。
それは《毒》という自覚もある確信犯ではあるけど、正義でもなければ正論だとも思わない。
あくまで傍証であり傍論だと思ってるから言えるんだよね(笑)
師匠の言葉を借りれば《負け犬の遠吠え》に過ぎない、のだと。
それでも、大多数の正論と同じくらいの価値がある、ごくごく少数の意見もある、とは思いたいし、多様な価値観の同等の並列こそが、自由な民主主義の本道だから、ただ大多数の意見を鵜呑みにするんじゃなくて、議論が起きてもよいのに、とも思うわけです。
要は《へそまがり》なんだけどさ(笑)
それにしても
「私たちは意識が高い者たちの集まりだから感染はしません」とは、どれほど高飛車な立ち位置なんだ?と思うし、正論はおろか、傍論でもなく、もはや暴論だと思うけど。
「年齢的なものからくる感覚のズレなのかな…」とか思っちゃうんだよね。
怒りはないけど(笑)
むしろ哀れみを感じませんか?
コーギモモ
男性/58歳/神奈川県/飲食業
2021-01-11 02:56