社員掲示板

母が話してくれた

あれから10年になります。
あの日、母はいつものように仕事で都内に。
地震が発生し早めの帰宅。
赤羽駅まで来たが電車はストップ。
赤羽駅に降り立ち、さて武蔵浦和までの帰り道がわからない。
路線バスのドライバーさんに教えてもらい、バスを乗り継ぎ何処かの駅に。
バスを待つ長蛇の列に並び、数時間後に浦和駅西口行きに乗り込み、自宅の最寄りのバス停で下車。
自宅に着いたのは6時間後。
バスの車窓から見えたのが、歩いて家路に向かう人びと。
あるコンビニは休憩場所になっていたと。

やっと僕に連絡が出来たり、バアバにも連絡が出来て安心したと話していました。
それから始まった計画停電。
家は、JRと送電線が一緒と東京電力さんから聞いて計画停電から逃れましたが。
油断していたのが、買い物。
気がついた時はスーパーはやっていたけれど、品物が無かったと。
買い置きしていた食品で何とか数日乗り越えたと。
ペーパー類も買い置きがあったから良かったけれど、乾電池が足りなくて、それだけは困ったと。
いま自宅には非常食、乾電池、お水があります。
全て母が準備したものです。
たまに、賞味期限等を確認しています。

あれから10年。
忘れたくても忘れられない10年です。

マチャマチャ

男性/42歳/埼玉県/長距離ドライバー、2021年3月から闘病生活のため入院中。
2021-03-07 13:32

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