3.11
こんにちは。
皆さんがぽつりぽつりとあの日のことを書き込んでいるので、私も。
主人の1年半の仙台出向を終えて、東京への引っ越しを5日後に控えたあの日。
引っ越し段ボールに囲まれた仙台の部屋で、娘とお昼寝をしていました。
地震って、長くて1分って聞いていたのに、
とにかく断続的に揺れ続けていたこと、
合間をぬってお風呂に水を溜めたこと、
そして停電が訪れたこと、
主人が帰宅して本当にホッとしたこと、
揺れ続ける余震の夜に、お姉ちゃんはスヤスヤと眠ってくれて安心したというかビックリしたというか。
引っ越しは月をまたぐことになりました。
とりあえずあるもので生活して、
畑の無人販売機で野菜を買い足しました。
引っ越すまでガスは戻らず、銭湯やオール電化の友人にお風呂を借りたりしました。
今でも鮮明に、被災してから東京に戻るまでのことは覚えています。
正直、停電でテレビが戻るのが遅くて良かった。
津波や原発の映像を初日から見なくても済んだから。
首都圏のパニックっぷりを目の当たりにしなくて済んだから。
あれから起震車には乗りません。乗れません。
そしてコロナ禍の今、思います。
多分、人類がコロナと共生できるようになる方が、原発の廃炉より絶対早いだろうことを。
それなのに、原発の再稼働に向けて動き始めている現実は信じられません。
あれから何を国や自治体は学んだのか。
震災ベビーの次女さん、
彼女の重ねる年月が、私たち家族の震災からの年月です。
あの時のように、お互いを支えあい、思いやりながら、
今一度、年月を重ねていきたいと思います。
いつ、何が起こるかわからない。
人は自然には勝てない。
克服するなんておこがましい。
そんなこと、喉元過ぎたら忘れちゃうなんて、悲しすぎるなぁ、傲慢だなぁと心底思います。
つねちゃんこ
女性/48歳/東京都/アルバイト
2021-03-07 16:02