娘のあの時の記憶です
あの日、中学1年の娘は数学の授業中(担任)に被災。
大きな体育館へ移動、ギシギシと鳴り響く大きな音と大きな揺れ。
まだ、事態は把握できず。
携帯電話を戻され家へ連絡をとるように。と。
その時繋がったかどうか私も娘も覚えていない。
多分繋がらなかった!
水、毛布、お菓子が配られ、津波がすぐ近くまで来ていると分かる。学校は高台のため無事。
揺れは続くが学校周辺の友人たちは親と帰宅。
理科の教師が、手作りの発電自転車を運んできて必死に漕ぐも電力は、豆電球がちょっと光るのみですぐ消える。
体力自慢の体育教師、先輩たちも参戦するも笑いが起こるだけで、豆電球はすぐに消える。
苦笑いで見ていた教師たちの所に、発電機が届いていた。
発電機はすぐに使えたけど、生徒たちを安心させるために自転車を持ってきていた。
結局、娘は学校へ残る最後の2人のうちの1人。
私と娘が会えたのは12日の午後2時頃でした。その後6時間かけての帰宅でした。
みゆゆん
女性/49歳/茨城県/専業主婦
2021-03-11 15:53