10年経って思うこと
本部長、秘書、リスナー社員の皆さん、お疲れ様です。
生まれてから2017年まで福島県の福島市というところで暮らしていた、すがわらみやぎといいます。10年前の私はバツイチの36歳、気ままな独身貴族とか言いながら浮ついた感じで、仕事は長距離ドライバーをしていました。福島市は海から離れた場所なので津波被害もなく、地震の被害も沿岸部に比べると少ない場所でした。
しかし、メルトダウンとか放射線がどうとか、テレビや小説の中の話と思っていたのに、10年前のテレビが映す映像は原発が煙をあげて爆発する場面。
それが自分のすぐ近くの現実なんだと知り、とても恐ろしくなりできるだけ遠くへと新潟県まで車で逃げたことを思い出します。
あれから10年、「オレもだいぶ逞しく鍛えられたなぁ」と思ったりします。
何が正解なのかわからないまま、被曝という言葉を考えつつも福島に戻り、仕事を続けました。
東日本大震災直後はカタカナ表記の「フクシマ」が世の中に定着して、たくさんの善意とたまに少しの悪意と差別をもらいました。
あれから10年の間にもたくさんの災害が日本では起きました。そのうちの何ヵ所かには災害支援物資を運ぶ仕事もさせて貰いました。
そして、最近でいえばパンデミック。パンデミックなんて自分が生きている間に起きるはずない…なんて勝手に思っていたのに現実的に今の世界は新型コロナウィルスと戦っている。
なかなか予測不能な現実世界だけど、まだオレはきちんと生きているし、きちんと笑えている。
しかも結婚までして奥さんと子どもと暮らしている。そして、出来るだけこの先の未来が明るくなるように少しの努力をする。
今まであった困難のおかげで強くなった事を自覚できるから、そう考えれば今までの10年も私にとっては悪いことばかりではなかったと今日、思っています。
最後にスカロケはたぶん、始まった当初から聞いています。今は長距離ドライバーの仕事をやめましたがradikoで毎日聴いているヘビーリスナーです。私が頑張ってこれた10年の中でスカロケに助けてもらえた事は何度かありました。本当にありがとう。
すがわらみやぎ
男性/51歳/宮城県/会社員
2021-03-11 16:06