気仙沼プラザホテルに乾杯
本部長、秘書、リスナー社員の皆様
とうとう梅雨入りしたようですね!
しばらく鬱陶しい日々が続きますが、頑張っていきましょう。
そして、忘れられない旅という事で、この場をお借りして、少し語らせてください。
それは私がまだ30代だった頃に、三陸を母と旅した時の事です。
東京から電車で仙台に出て、その後、仙台から仙石線に乗り、石巻線、気仙沼線と何時間も乗り継ぐ電車での旅は、三陸の海岸沿いの移り変わる景色のせいか、意外と飽きのこないものでした。
母とは、気仙沼プラザホテルに宿を取っていたのですが、辿り着いたのはもう20時を回っていたことと思います。
フロントの方に予約をしている旨を伝えると、少し心配になるほど間があいてから通された部屋に驚いた私は、思わずすごいと声を上げてしまいました。
恐らく、予定していたタイプの部屋が既にふさがってしまっていたのだと思います。
通された部屋は、予約した部屋よりも明らかにグレードの高い部屋でした。
ドアを開けた入口の上がりがまちは、幅が2m以上あり、如何にも和な部屋は奥に向かって二間あり、手前の料理を頂くための座卓がある部屋の奥には、10人分くらい布団が敷けそうな部屋がありました。
それだけでも十分な広さであるのが、他に和のお部屋としては少しテイストの違う扉があり、そこを開けると、結構な広さのツインのベッドルームがありました。
その手の美味しい思いを今までにしたことのなかった私は、それだけでもルンルンで、クールを装いたい母も、若干にやけている様子で、手前の座卓のある部屋で、その日に食べたものなどを振り返りながら、夕食を食べました。
道中に味わった魚介ももちろん良かったのですが、宿で頂いた料理はその日の集大成としては、最高のものでした。
そんな楽しい旅の思い出でしたが、その気仙沼プラザホテルが、東日本大震災の津波の被害に合うシーンをテレビをで見た時には、目の前が真っ暗になりました。
怖くて調べられなかった今になり、この投稿を書こうと思いネット検索したら、宿が健在だと知りほっとしています。
また行きたいです。
鼻濁音は官能的に
女性/56歳/東京都/自営・自由業
2021-06-14 17:28