モノ
自分はモノを作る者です。
たかが飯屋、ガラス玉みたいな商売ですが、ガラスはガラスなりにキレイな丸になるように磨いたり、金魚鉢に入れてみたり、裏から光を当ててみたり、見る人が楽しめるようなことに心血を注いでいます。
だから、飲食に限らず、他人の仕事も同じような目線で見ている。うちの父は看板を作る職人だったし、母は美容師だったから、その影響もあるかもしれないけど。
一生懸命に作ったモノには魂とか「好きで好きでしょうがない気持ち」などが、見て取れる。
もちろん好き嫌いはあるけど。モノを作るスピリットには一定の敬意を払って、好き嫌い以上のことは思っても言わない。
自分が子供の頃は、何度か「悪書追放運動」みたいなことがあって「漫画を読まないように」といったPTAや学校のプロパガンダがあった。もしかしたら今はそれがゲームなのかもしれないけど(笑)
だからといって、当時の自分は、別に気にすることもなかった。
子供は基本、親が建前で『社会』といったデカい分母で語り、マユをひそめるような好ましくないモノが大好きになりがち。
ただ、大切なのは子供自身も「好ましくないモノ」であることを分かっていたことだ。そこで子供の人権だの、表現の自由や、選択の自由などと、生意気な主張するわけではない。
そりゃ、漫画より参考書を読んだほうがいいに決まっている(笑)
親や教師、自身の良心と呵責し、バレたら怒られることを覚悟しながら、最大限に楽しんでいた。少なくとも自分や自分と仲の良いクラスメイトはそれくらいの分別はあった。
犯罪者の素性が「アニメ好き」だと「ほら見てみろ、アニメなんかロクなもんじゃない」と言う。
漫画もアニメもゲームも別に悪くない。
活字なら良いのか?小説を模倣した犯罪も起きているが、それは小説が悪いのか。仮面ライダーごっこで怪我をしたらライダーが悪いのか。
それもこれも、
その時々の個々の当事者の問題であり、
あるいは『自分』が一番の問題であったりもする。
モノは関係ない。
コーギモモ
男性/58歳/神奈川県/飲食業
2021-06-26 01:24