# FuToo
中学の頃、父の会社が倒産し、白亜の邸宅で「坊ちゃん」と呼ばれる生活から、一転、築30年くらいのボロアパートで貧乏生活が始まりました。
生活保護を受け、高校は安い都立高校で奨学金を借りて通いました。
当時の都立高は制服のない学校も多く、私服での登校が許されていました。一応「標準服」として黒の詰襟 学ランの制服も推奨されていましたが、強制ではなく自由。皆、入学したての頃は学ランで通いますが、しばらくするとTシャツとジーンズなどで通いはじめます。
しかし『服装自由』という権利も、それはそれで大変なんです。いろいろ外見を気にする年頃で、オシャレもしたくなり、バイト代を服につぎ込むことになります。
結果、服のローテーションに困った時や、雨の日に新しい服を汚したくない時のみ学ランを着ていました。
黒の学ランというのも便利な物で、全国ほぼ同じ規格だから、貸し借りが可能。中古品も豊富。兄弟のお下がりなんてことも珍しくなく、自分も従兄弟のお下がりを母がもらって来て、学章ボタンだけを購買部で買って付け替えた中古品でした。
没個性だの、同調圧力だの、最近は何かとマイナス面ばかり言われる学校制服ですが、貧乏人の味方でもありました。
最近、店の近くのイベント場で、ダンスチームのコンテストなどがよく開催されていますが、子供達はみな同じユニフォームです。同じ型、同じ色のジャラジャラ三編みのラスタヘアみたいな髪型だったりして。どこのチームも、まー、似たりよったりです。
また、毎朝よく見る。私立小のバス通学のお見送り。子供達はもちろん制服ですが、ママさん達も清楚な紺のワンピースか、紺のパンツスーツです。多少、袖や襟の形が違えど。これも、まー、似たようなもんです。
「個性を大事に」といいながら、団体の一体感が必要な場面もあるわけです。日本人は割と、同じスタイルで「その他、大勢」でいることの安心感が好きなんだと思う。
自分は子供の時に個性的なくらい貧乏だったから、もう誰かと対立してまで個性を主張したいとは思いませんね (笑)
個性なんかないほうが遥かにメリットが大きい。普通が一番ですよ(•‿•)
コーギモモ
男性/58歳/神奈川県/飲食業
2022-04-24 00:16