蔦文也監督。
皆様お疲れ様です。
私はサッカーファンであまり野球の事は詳しくないのですが、以前、ヤクルトスワローズを優勝に導いた野村監督が本で、「プロ野球の監督を辞めたら蔦さんみたいな事がしたい。」と書いていたのを思い出し、ネット情報ですが蔦さんについて調べてみました。
真偽の程はわかりません。
蔦 文也(つた ふみや)
監督として甲子園通算3回優勝、2回準優勝、14回出場という偉業を成し遂げた。
しかも徳島の弱小チームであった高校でこの実績を築いた。
蔦自身はプロ野球選手だったものの、投手として未勝利で引退。
その後、高校教師をしながら野球部の監督になる。
監督になってから約20年間は甲子園さえ行けなかった辛い日々だった。
さらに夏の甲子園で優勝できたのは、監督になってから約30年後だった。
また、夏春連覇を果たした後、再び夏の甲子園に出場し、世間では3連覇の期待が叫ばれていたが優勝はできなかった。
その時監督は、「本当に選手の人生を考えたら、3連覇しない方が良かった。」、「挫折をした者が本当の成功者になれる。」と言い放ったっいう。
また、「教壇に立ち続けないと球児達の気持ちがわからなくなる。」と言って教員も熱心に続けたそうです。
還暦まで筋トレ
男性/43歳/東京都/政策アドバイザー
2022-07-23 05:08