4年前の今日
とある工場で8階建てのビルの屋上にいました。揺れ始めたとき避雷針が大きく揺れてるのをみて「この建物は倒れるかもしれない」と思い生まれて初めて死を覚悟しました。被災した人から見れば「死を覚悟する」なんて簡単に言うなと叱られるかもしれませんが本当にそう思いました。揺れが収まり急いで地上に降りてツイッターで状況を確認しようとしたら携帯が繋がらない。電話も繋がらない。一緒にいる人と情報収集をしていくうちに被害の大きさが徐々にわかりボー然としていたのを覚えています。
あの日初めて国内で「壊滅的状況」と言う言葉を聞いて今の日本でそんなことがあるのかと思いましたが、テレビをみてその状況を理解しました。
震災後はすぐに家族、親戚にメールで連絡を入れ全員の無事を確認できたのは次の日だったのを覚えています。
秘書の声にいつも癒されてる
男性/52歳/埼玉県/会社員
2015-03-11 15:43