3.11 友人の安否が不明
震災後気仙沼に住む友人の安否が気になり連絡をしましたがつながらず、10人ほどで代わる代わる連絡をしましたが誰も連絡が取れない状況が月曜日まで続きました。月曜の夜、友人と集まり火曜日中に連絡が取れなければ現地に行こうということになりました。当時の我々は会社でも中間管理職の立場の人が多くそう簡単に休めないのですが、誰も俺はいけないと言いませんでした。そして火曜日のお昼頃携帯がなりました。気仙沼に住む友人からでした。「家は流され全てを失ったけど家族は全員無事」との言葉を聞いて職場で人目を憚らず泣いたことを覚えています。その後他の友人には私から気仙沼の友人が無事との事を伝えその週末に4tトラックにありとあらゆるものを乗せて12時間かけて気仙沼に行き無事を喜びました。でも周りには身内を亡くした人もいたので悪い事をしたとすぐに気づき持ってきたものを渡してすぐに帰ってきました。あんな思いは二度としたくないです。
秘書の声にいつも癒されてる
男性/52歳/埼玉県/会社員
2015-03-11 15:51