カッコ良かったお婆ちゃん
私が生まれた時、母方の祖父母は既に亡くなっていた。
父方の祖父も他界しており、私がこの世に生まれて会えたのは祖母ひとりだけだった。
父の実家は新潟県頸城村(現在は上越市)にある米農家。
ここに嫁いできた明治生まれのお婆ちゃん、農作業をしながら男七人、女ひとり、合わせて八人の子を生み育てた。
身体は小さいのに性格は豪快で、「これが明治の女か」と後々になって根拠なく感心していたものである。
私が小学校低学年の頃、お婆ちゃんが新潟から出てきてくれて、三ヶ月くらいだったか半年くらいだったか、兄と私の世話をしてくれていたことがあった。
当時、何曜日だったかは忘れたが、夜になるとテレビでプロレス中継をやっていた。
お婆ちゃんは風呂上がりに浴衣をザバッと羽織り、テレビの前にあぐらをかいて座り込むのだ。
最初のうちは日本人が外国人にいたぶられ劣勢、だがそのうち日本人が盛り返して攻めに転じる。
するとお婆ちゃんはテレビに向かって「やっちゃえやっちゃえ!」と声援を送るのだ。
お婆ちゃんにしてみたら、七人の息子のうちのひとりを戦争で失くしたという思いもあったのかも知れない。
冬になると暖をとるために居間に火鉢が置かれたのだが、お婆ちゃんは火鉢の前にチョコンと座り込む。
そして20cmくらいの長いキセルに「桔梗」という名の煙草の葉をキュキュッと詰め、火鉢の炭から火をもらい、一服、二服、ふぅ〜っとやる。
吸い終わるとキセルを火鉢の縁にパチンと叩き灰を落とす。
この所作が実にイキな感じで格好良かった。
私はこの桔梗という煙草の香りが大好きで、お婆ちゃんが一服し始めるとサッと横に座ったものだった。
カッコ良かったお婆ちゃんが亡くなって、もう50年以上が過ぎた……
鴻の親父(おおとりのおやじ)
男性/66歳/埼玉県/居酒屋やってます
2024-01-08 20:03