3.11 あの日から13年
ここに、あの日のこと、今の思いを綴ること、許してください。
私はあの日、高校卒業し、家でお昼ご飯を食べながら国会中継を見てました。姉は前日仙台からたまたま帰ってきており、母と3人で姉の大学の卒業式の話や私の入学式の話をしている、その時でした。あの大きな地震が来たのは。理由もわからず、とりあえず家の外に出ようと3人で手を取りながら家を出ました。幸いにも私は内陸部住みなので停電して、ライフラインが停止しただけでした。近くに勤務してるお父さんの安否を確認しに2回目揺れる中、走った記憶があります。
三日三晩、リビングに布団を並べ、石油ストーブで暖を取りながら、あのとき食べたカップラーメンの美味しさとラジオにかじりつき、情報を寝ずに得ていた姉の姿が
忘れられません。今思えば、仙台の友達と連絡も取れず、不安な日々だったんだろうなと思います。
姉の卒業式も私の入学式ももちろんなくなりました。それが当たり前でした。大学で震災のことを学び、その経験を活かし看護学生としていろんなことを学びました。必死に日々、過ごして来ました。
今現在、姉にも私にも家族ができました。可愛い可愛い娘や甥、姪ができました。改めて想います。
家族一緒に入れたことの幸せを。
今は私は千葉で看護師を。姉は沿岸部で学校の先生をしてます。13年たった今でも、この日が近づくと生徒や保護者、街のみんなの心がざわついてソワソワしてるのが感じ取れると姉は教えてくれました。それを聞くたびに心がぎゅっとします。私は幸せなんだなって。
私は被災者ではないといつも思います。
だって、そんなふうに語れないから。私達は家族が無事で、たった数日ライフラインが止まっただけだから。だけど、震災の怖さは語れますあの、揺れのこわさ。
3日後テレビで見た津波の映像の衝撃的さ。受け継いでいけます。
この前の能登震災のときも、みんな逃げてとテレビを見ながら叫んでました。揺れた途端娘を抱きかかえて外に出ました。そして、あの日のことを思い出しました。
親として、私は娘たちに、しっかり防災について伝えていきたいと思います。この想いもこの怖さも教訓も。
支離滅裂ですみません。
本部長、秘書、リスナー社員の皆様、見てくれて、聞いてくれてありがとうございました。
にーも
女性/32歳/千葉県/会社員
2024-03-11 17:00