徒然に、徒然に……(その八)
こんばんは、リスナー社員の皆さん
およそ半年ぶりの徒然なる書き込みをしてみようか、と……
突然そんな気分になりまして。
木曜日の「助けられた云々」の案件、掲示板に書かれた数々のエピソード、色々と面白かった。
私なんかひとつ、涙こぼれそうになったのも見つけました。
そしてあれこれ思い巡らしていたら、つい数分前にふと思い出したドラマがありまして……
ずぅっと昔のテレビドラマ、鶴田浩二さん主演の『男たちの旅路』というシリーズ。その中のお話のひとつに『車輪の一歩』というのがあったんです。
車椅子で生活している青年達の話なのですが。
当時は昭和40年代、今とは社会の受け入れ体制が違う。人々の意識も違う。
「結局、街に出かければ誰かの世話にならなくては段差ひとつ越えられない」と、出かけることに後ろめたさを感じている当人達の心情。
その悶々とした気持ちを健常者が理解できるわけないと憤る気持ちもあって。
でも同情されるのも嫌なので、誰かに頼ることを前提にしては生きたくないのだと。
彼らはいつの間にか「助けてもらうこと」を「迷惑をかけること」と意識の底で混同していたのですね。
そこで鶴田浩二さんが「でも、ギリギリの迷惑だったらかけても良いんじゃないか?」と問うのです。
ドラマを観た当時はギリギリの迷惑という感覚が良く理解できなかったけれど、こんなセリフだけは忘れないんですね。
今の私なら少し理解が進んだようで……?
「迷惑かも知れないけれど、まぁ許せるわい」てな感覚かなぁ、と。
常々思うのは、人間生きてりゃ必ず誰かに迷惑かけてるってことなんです。だからお互い様でしょ、って。それを皆んな許し合ったり助け合ったり、そうやって回るのも世の常でしょ、って。
「私、誰かを助けたことなんてないから」と思う人がもしもいるなら、そんなことは絶対にないと全力で否定してあげたい。
困ってる人にお金を貸してあげたとか、大怪我するところを防いであげたとか、仕事のチョンボをフォローしたとか、そんな大問題だけが「助けてあげる」ことじゃないんだ。
ちょっとした時間の狭間で、あなたがふと漏らしたひとことがその場を和ませた、とかさ。
電車で泣いてる赤ちゃんがあなたの仕草で急に笑った、とかさ。
それだって充分に助けになってるんだよ。
鴻の親父(おおとりのおやじ)
男性/66歳/埼玉県/居酒屋やってます
2024-04-05 01:02