人の上に立つ者は「公平」であるべし。
大昔、小学校2年(2組)の時、
運動会の練習で、私のクラスで2人だけ(=私+W君)、
行進が「シッチャカメッチャカ」で、
担任教師(中年女性)が「居残り」を命じて曰く、
「2人とも、今日、放課後、特訓して『あげる』」
放課後、2人して「居残り」していたんだけど、
(ちなみに、W君とは、仲良しでも、仲悪しでもなかった)、
いざ、特訓が始まろうとした瞬間、
W君「僕は、家で、1人で練習するから、帰る。」と言って帰っちって、
私も「僕も帰る。」と言ったのでふが、
担任「あんた(←私のこと)は残りなさい!」
で、私1人だけ、30分間、特訓「されて」、
まあ、行進はできるようになって、
「先生、残業までして『くれて』、特訓して『くれて』ありがとうございまふ」
な~んて気持ちは1ミリもなくって、実に「不愉快な」気持ちしかなくって、
当時は「憎しみ」という言葉は知らなかったけど、
あれは「憎しみ」という感情でしたな~。
「居残り」そのものではなくって、
「2人とも」居残りさせると言ったのに、結局、
「1人だけ」居残りさせられた「不公平感」が「憎しみ」の原因。
教師、上司、親、といった人の上に立つ者は「公平」であるべし。
(ほとんど)全ての「革命」というものは「不公平感」が原因でありませう。
((( ̄へ ̄井) Σ( ̄皿 ̄;; ( ̄ヘ ̄メ)
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
オペラ座の怪人
男性/48歳/東京都/会社員
2024-04-12 08:42