100m×100本
もう20年近く前のことですが、私は高校生の頃、野球部に所属していました。
キャプテンとしてチームをまとめ、日々の活動に励む中、ある日のトレーニングで、トレーナーから【100mダッシュ×100本】という鬼メニューが課されました。
ピンピンの高校球児とは言え、100m全力疾走すれば息は上がります。それを100本ひたすら繰り返すという修行のようなメニュー、もちろん選手に拒否権などないので、黙々と走り続けました。
・・・・・・10本、・・・・・・20本、・・・・・・50本、・・・・・・80本、そして95本を走り終え、いよいよ100本に到達しようとしていました。ゴールが見え、あと少しというときにトレーナーから信じられない言葉が・・・・・・!
『100本走り終わったあとに、どれだけ走り続けるかはお前ら次第や』
『え?』
部員全員固まりましたが、高校生にもなるとある程度、大人の意図を理解することができます。100本以降は自分たちでどこまでやるか決めて良い。もちろん予定通り100本で終わってもいいし、根性見せてそれ以上頑張ってもいい。ただし、やる以上は全員で走らなければならない。
どうするか、チーム内で話し合いをしましたが、意見は割れました。
もう少し頑張ろうという前向き派と、もう無理せずやめようという後ろ向き派に分裂し、対立が始まりました。
キャプテンである私は、もちろん前向き派として、後輩や後ろ向き派の部員たちをなんとか鼓舞していましたが、後ろ向き派の放つ負(ふ)のオーラは、とてつもなく強烈でした。
その後・・・・・・105本、・・・・・・110本と走り続け、
結局、やいやい言いながらも、120本走り、トレーニングは終了しました。
衝突はあったものの、何だかんだ頑張ってくれた皆には感謝していますし、いい経験になりました。ありがとう。
大人になった今でも、ダッシュするたびに、あのときほど肉体的にも精神的にもキツいダッシュはないよな、と思えば気が楽になりますね。
北岳に来ただけ
男性/37歳/東京都/会社員
2024-05-28 12:43