伝説のお年寄り案件
本部長、秘書、リスナー社員の皆様、スポンサーさま、
三連休お疲れ様です!
私にとって伝説のお年寄りは、父方の祖母です。
秋田の豪農の男兄弟の末の妹として何不自由なく育ったお嬢様でしたが、祖母のお父さんがたまたま知り合った私の祖父と口約束で結婚を決めてしまって、そこからは苦労の連続でした。4人の子どもを授かるも、祖父は闘鶏に財産をつぎ込んで田畑を売り払い、闘鶏場を作って大損。妻子を秋田に残して北海道に開拓という名の出稼ぎに行きます。すると、すぐに祖父からの連絡も送金も途絶え、生死も分からない中で祖母は子供に食べさせるために道路の補修などの力仕事で命を繋ぎました。白く柔らかな手はあっという間に働き者の手になり、薪割りで手が滑って人差し指の爪を真っ二つに割ってしまったとさすっていたその爪は山のように盛り上がっていました。
祖父は数年後に突然戻ってきて、そこから納豆屋、豆腐屋、パン屋と色々な職業をやっては廃業を繰り返し、その暮らしは決して楽ではありませんでした。
後年、次男である私の叔父がアメリカで結婚して孫が生まれるという時に祖父と共に渡米。そのままシカゴに住み着いて16年。英語はできませんでしたが1人でスーパーに買い物に行ったり、ご近所さんと交流したり、一家の食事を全て作って叔父一家を支えました。叔父と叔母には和食を作り、孫たちにはルーもないのにシチューやカレーを作っていました。インターネットとなく、日本語の料理本もなかったのにどうやっていたのか不思議です。
祖父は1人でバスに乗ってシカゴのダウンタウンに繰り出して、ビルのメンテナンス兼管理人をしていました。英語も話せないのに、どうやってコミュニケーションをとっていたのでしょう?!私が中学生になってから祖父の事務所を尋ねたら、テナントさん達が入れ替わりやってきて「ji-chan!」と話しかけていました。不思議なものです。
伝説のばあちゃんの横には、伝説のじいちゃんあり、ということでしょうかね!今はもう亡くなりましたが、波瀾万丈でありながら面白い人生を生き切った祖母でした。祖父も、ですね!
懐かしく思い起こされます。
キヅキノヒロコ
女性/50歳/神奈川県/会社員
2024-09-16 18:07