社員掲示板

案件とは関係ないですが…

皆様お疲れさまです。スカロケとは関係ないのですが書かせて下さい。先日、竹内まりやさんと住吉美紀さんとが、竹内まりやさんの歌詞に注目したラジオ特番?を聞きました。その中で最後に流れた曲が、いのちの詩でした。自分はまりやさんの、いのちの詩、を初めて聞いた時から涙なしには聞けません。別に自分の身近な人が亡くなったとかではありません。でもなぜか胸に響くのです。なぜか?考えてみると、自分は、「死」という言葉が嫌いです。でもいろんなアーティストは、悲しい別れ、身近かな人が亡くなったことを歌にするとき等に、死、という言葉を選んでいます。それはそれで分かりやすいし、万人に響くので使うことに何も思いません。ただ、まりやさんは他の歌はどうか知りませんが、いのちの詩のような、死、に関する歌に、ダイレクトに死という単語を使わないところが自分の琴線を揺さぶるのではないか、と思っています。死ってなんなんでしょうね。病死、事故死、脳死、これらは死かなと思います。医学的には。でも自分は、自分で自身の存在意義を見いだせないのも死、なのではないかと思います。今の自分がそうなんだろうな、と思っていますが。自己の承認欲求が強いのかもしれません。ただわがままなだけかもしれません。でも、こんな時にいのちの詩を聞くといつも以上に涙が出ます。まりやさんの詩には特別なメッセージがあるように感じます。番組で、山下達郎さんが、ゲストコメントでまりやさんの歌詞とは?と聞かれていて、達郎さんは、「圧倒的な生に対する肯定感です」とコメントされてました。住吉さんも、こういった歌は、間違えると説教臭くなるし、当てつけがましくなりがちだけど、まりやさんの歌詞からは感じない。何かスッと心に入ってくる、とコメントされてました。この達郎さん住吉さんのコメントが自分にはすごく良く分かる!と共感しました。これも、今の自分の心が参っているのかなぁーとか感じます。何か支離滅裂なコメントですみません。来週48歳になるのに何か子供っぽいですね…ゴメンナサイm(_ _)m

がーす

男性/48歳/東京都/会社員
2024-11-07 17:44

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