こんばんは
皆様お疲れ様でございます。私はラジオネームの通り三味線奏者をしております。一応プロです。芸歴は今年で52年目になります。前置きはこの辺にして本題に入ります。それは中学校の時の文化祭での話しです。私の学校は2年に一度大きな文化祭が行われるのでますが私たち2年生は残念ながら大きな文化祭は1回しか出られませんでした。そして文化祭の目玉でありメインイベントがあります、その名も片中(かたちゅう)クマランプリ大会です。どういう大会かというと全校の全クラスが出し物を用意して争うという大会です。あるクラスはギターの弾き語り、またあるクラスは合唱、またあるクラスは演劇などなど。我がクラス2年7組は学級委員が「昭和枯れすすき」を歌うことになっていました。ところが文化祭1週間前になって急にやっぱり嫌だと駄々をこね始めてしまいました。困り果てた担任の先生が私を校長室に呼び両手を掴んで「アベお前しかいないんだ、たのむ!!」と懇願されてしまいました。時間がないのでとにかく何をやればいいのか‥‥その時!同じクラスの松本ことマッチャキが歌うことことが大好きなことに着目しました。そして私が三味線を弾いてマッチャキが歌うことを考えました。ところがここで一つ問題が!私の弾く三味線は民謡なのですがマッチャキは民謡は歌ったことがない!
とはいえとにかく時間がないということで、私の父に頼んで猛稽古をということに。私の父は民謡の家元をしておりまして、家元直々というのは滅多にないことですがとにかく1週間ほどの間に一曲をマスターしてさらには家元が直々に稽古をつけるわけですからクオリティの高い歌を歌わなければなりません。毎日学校が終わったらすぐに家に帰りすぐに稽古と、そんな日々が続きました。その甲斐あってそこそこの歌唱力で歌えるようになりました、そして私の案でお囃子をつけようということになりまだ声変わりしていない私と同じ吹奏楽部のかっちゃんに頼みました。快諾してくれました。さらに家元の「見栄」で3人とも紋付袴の衣装を身にまとい準備は万端で本番当日を迎えました。順番が来てアナウンスがされました。「続きまして2年7組、花笠音頭‥‥そして審査結果は‥‥なんと見事に片中グランプリ賞に輝きました。そしてマッチャキは20歳の若さで白血病で他界してしまいました。私にとって絶対忘れられない思い出です。
名も無き孤高の三味線弾き
男性/59歳/神奈川県/自営・自由業
2024-11-19 19:29