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とある『ぞうきん』のこと

東京大空襲の時、私の父は11 歳。壕に避難する途上で母親(祖母)から、位牌を忘れたから取りに行ってくれと頼まれ、家に戻って仏間に入ると、隣の居間からもの凄い轟音がして、とにかく位牌をもって逃げ、一夜明けて戻ってみると、轟音の正体は居間に直撃した『不発弾』だったそうです。

あれが不発でなかったら…居間でなく仏間に落ちていたら……今の自分は存在しないことになります(笑)

ずっと身近に生死があって、ただの偶然によって生死を分かち。それでも家族を守るために出征する人がいて、無事の帰還を祈る女性がいた。


先日、新学期の『ぞうきん』がスカロケでも話題になっていましたね。とあるお母さんが、白いタオルで、ぞうきんを縫いましたが、たまたまミシンに付いてた『赤い糸』で縫い上げところ、学校で物議をかもした、とのこと。

白布に赤い糸は、ある世代や知識ある人には、戦時中の『千人針』を連想させる。『千人針』とは出征が決まった兵隊に渡すお守りのこと。名前の通り、白布に赤い糸で1人1針、1000人分の玉結びを縫い付けてもらう。時間も手間もかかる。

兵隊は「胴に巻いておけば弾が当たらない」という『祈り』を信じた。無事に帰還しても無下に捨てることは出来ず、大切にとっておく人もいた。

リプ欄には「そんな昔のこと関係ねーし、知らねーし」という反応も多数ありました。別に、えらい昔で、関係なくても『関ケ原の合戦』も『鎌倉幕府』も知ってるだろ。もっと近代の歴史で、それをぞんざいに扱うと傷つく人がご存命なことなんだから「それは知らなんだ。勉強になりました」でいいじゃん。

「だったら、ぞうきんの規格を決めておけ」とかさ。おめーはパンツはいてからズボン履きましょうってズボンに書いてなきゃパンツもはけねーのか、とか(笑)

「ただの白布と赤い糸なだけじゃん」とか。
だったら、便座型の皿にトグロ型のカレーを盛り付けてやるから食ってみ。ただの『白い皿とカレー』なんだろ?とか、だんだん捻くれてきた(笑)

自分ひとり、生まれてきたような態度で老害とかすぐ言いやがって。両親、祖父母の先祖にも、家族を守るために戦ってくれた人、祈りや悲しみの中で、必死に生き延びて、命を繋いでくれた人がいたから、アンタがいる。

それは間違いないだろ。

コーギーモモ

男性/58歳/神奈川県/飲食業
2025-04-11 01:20

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コーギーモモさん

不発弾…で命拾いしましたね
(@_@;)スゴイ事実だわ

私の亡き父は、成長期に
栄養が足りなかったから
背が私と同じくらいでした。
兄と弟や祖父も背が高いので
本来ならそのくらい伸びるはずで
戦争中、どれだけひもじい想いを
したかが、わかる切ない出来事です。

終戦を迎える直前に食糧難の中
塩むすびを特攻機内で
思いっきり頬張り
皆に感謝しながらブンブン手を振り
笑顔で出撃する姿を映像で見た時があります。
あと数日、遅ければ…と
その映像を思い出すたびに涙が出ます。

特攻隊も日本を守ってくれて
必死に命をかけて戦ってくれた人々が
いたからこそ、今があるという事実を
踏まえ感謝と敬意を払いたいです。

知覧博物館は、戦後に生まれた人が
行くべき場所だと私は思います。
なんでもかんでも都合の悪いことを
老害という風潮は
ちょっと違うよね…(^_^;)

ちーたん♥

女性/57歳/東京都/パート
2025-04-12 09:08

ちーたんさん。

うちの母は「もったいない、まだ食べられる」が口ぐせのような人でした。あとは例えば友達の家でご飯を食べてくるということを極端に嫌い「うちはムスコに他所のご飯を恵まれるほどひもじくない!」と怒る。まぁ、せっかく自分が作ったものを食べないのか!も含まれていたとは思うけど(笑)

父は父で逆に食卓が料理で埋まってないと文句をいう。食事の量が豊かさの象徴みたいな。

家はともかく、外食でも食べ切れないほど注文して、その割に「欠食児じゃあるまいし、お前らみたいに俺はガツガツ食わないぜ」とか自分はあまり手を付けず、家族に食え食えと言い、当然残したものはテイクアウトするわけだけど、家に帰って、晩酌始めると腹減ってきて「母さん、蕎麦茹でてくれ」とか「卵雑炊、作ってくれ」とか言い出して、母が「もう!なんでさっきレストランでしっかり食べておかないのよ!あたしだってせっかく外食から帰って台所に立ちたくないわよ。面倒くさい!」というやり取りは何千回も見た(笑)

どちらも食べ物への執着というか、コダワリが歪んでいるよね(笑)

コーギーモモ

男性/58歳/神奈川県/飲食業
2025-04-13 00:46