焼夷弾の中身
本部長、浜崎秘書、皆々様、お疲れ様です。
突然ですが、戦火の東京を襲った焼夷弾の中身、ご存じですか?
私の祖父は1945年3月10日、当時16才のでした。東京城北にいた祖父。当時の東京は野原で、
下町が赤々と燃え、たまに死体から放たれるリンが燃える青い火が見えたと言っていました。
11日になり夜が明け、散歩に出かけた祖父。土手でおもちゃを発見しました。
そう、不発の焼夷弾です。「おお、これが焼夷弾か!」とルンルン気分で勤めていた親戚の
町工場に担ぎ込み、解体を始めたそうです。
六角形のくすんだシルバーの本体を切ると、中から純白の大きな蚕の繭のようなガーゼが出てきました。
それを解くと、琥珀色の粘り気がある燃料が露出し、その美しさに手が自然と出て触ったそうです。ベッタリと手に付く
焼夷弾の燃料。当時は今のように油が落ちやすい石鹸はもちろん、普通の石鹸すらありません。
水の中で半日こすってようやっと落ちたそうで、「おお、こんなのが体に着いたら火だるまになるよな。
よくアメリカもこんな爆弾を造ったもんだ」と感心したそうです。
祖父はカメラを持っておらず、口頭で聞いた話です。
あまり焼夷弾の中身に関する資料がないので、本当なのか面白半分の
作り話なのか、私に知る術はありません。
なみえる・あなーきー
男性/28歳/東京都/フリーランス
2025-04-14 17:43