ピンチヒッター案件
皆様、お疲れ様です♪
大学2年生頃のエピソードです。
当時父は町工場の社長で、工場を新築、町の講堂にお取引先数百人をご招待して新工場の落成パーティーを開催しました。
…が、父はビールコップ1杯で酔つぶれる程の下戸男で母もアルコールを全く受け付けない体質…。
遺伝上、当然私も飲めないタイプながら、大学の飲み会で若干鍛えられ、父母よりは多少飲めるようになってはいました…。
主役たる父母が飲めないのは招待客の皆さん認識済みながらも、"返盃できないのは我が一族の恥"と思い、父母のピンチヒッターを引き受け、招待客の祝杯の注ぎ先ターゲットになったのが、大学生の私でした…。
高知の宴会をご存知のリスナー社員はご想像の通りの流れなのですが、数百人の返盃をやっているうちに完全に記憶が飛びました…。
気がついたのは、パーティーから2日後の朝…。それでも気持ち悪く、数日間ほとんど食べることもできず、今でも忘れられない過酷なピンチヒッターでした…。
○番町のジョギングオヤジ
男性/58歳/東京都/会社員
2025-05-07 23:27