社員掲示板

母校は、大魔人佐々木投手と対戦しています。

みなさま、おつかれさまです。
私は、桑田・清原・佐々木世代です。
私は吹奏楽部に所属し、応援側でしたが。
母校は、当時、宮城県大会でベスト16が常連レベルの中堅の実力でした。
二年の時は、甲子園でも背番号10を背負って力投した佐々木投手要する東北高校と対戦しています。こちらが先制点を取ったのがせめてもの抵抗で、中盤から底力を見せつけられ敗戦。
三年の時は、母校が敗退以降、写真が趣味だった私は、レギュラーに小中の同級生が5人もレギュラーに居て、幼馴染みの後輩が写真部の副部長を努める、当時創立三年目の新設公立高校の応援に、カメラ片手に同行しました。
そうこうしていると、あれよあれよと勝ち進み、決勝で東北高校と対戦し、準優勝となる快挙。もし優勝していたら、全国的に大反響を呼んだ事、確実だったのですが、やはり、背番号1を背負う事となった佐々木投手を打ち崩す事は出来ませんでした。
その時に、日刊スポーツ誌の取材記者の増島みどりさん(政治家の松島みどりさんとは別人です)という方が宮城県大会の取材担当て派遣されており、写真部の部長を含めた3人に対し、球場で会う度に、しっかりと情報収集の取材をされていました。
その後、増島さんは、フリーに転身後、佐々木投手の取材のためにアメリカに住む程、惚れ込んでいました。今でも多方面で活躍されているそうですね。
宮城県担当のもう一方と、ゴリラのマスクを被って「私たちが宮城県担当です」みたいな新聞のテレビCMに出演されていて「仕事とはいえ、可哀想に」と思った事も懐かしいです。
今でも、撮影した写真のネガ、実家に残っているかな?

みやぎ・しゅっしん

男性/58歳/千葉県/会社員
2025-08-04 07:53

レスを書き込む

この書き込みにレスをつけるにはログインが必要です。