本当に自由?
例えば「和風パスタ」といった時の『風』ってなに?といった部分。醤油味なら『和風』なのか。
それが人であれば、人をして、その人たらしめているもの、逆に生まれついた人間が抗うことも出来ずに染み付いてしまうもの。
それは『言葉』と『自然』と『歴史』なんだ。という思想家がいました。それはいわゆる『保守』そのものだと思いました。
日本語を話す。富士山を見て感動する。ご先祖に思いを馳せる。過去の歴史に学ぶ。慣習が身体に染み込む。私もそうして生きてきました。
子供の頃、国民の祝日になるとあちこちの家で玄関に国旗を掲揚したり、路線バスには小さな国旗が付いていたり、とくに意味はなく、それはそういうものと受け止めていました。
別にそれを窮屈に感じたことはありません。オリンピックやサッカーで国旗が掲げられれば、極めて『自由』な気持ちでシンパシーを感じたり。自分が何者か決めてもらえることで気持ちは自由なのです。
家族の会話で「天皇陛下は陛下と呼びなさい。皇太子さまは殿下と呼びなさい」と言われたり。
かつて「あんな人達(皇族の皆さん)と同じ空気を吸いたくない」と言ったリベラルの政治家がいました。私は、この人を自分を同じ『和風』とは思えません。
リベラルとは『自由主義』や『多様性』のことだそうですが、多様なことがかえって自由すぎて迷走しているように見えます。
挙句にお金に窮して仲間をリストラしたり、お金際にズルくなってひんしゅくを買ったり、すごく『不自由』になっていませんか。
「あなたの戦争反対は私の戦争反対とは違う」でいいじゃないですか。それが多様で自由なんでしょう?
「私の戦争反対と違うあなたは排除します」というから、かえってがんじがらめになるんじゃないかな。
コーギーモモ
男性/59歳/神奈川県/飲食業
2026-10-11 22:58

